deepimpact1969さんのブログ -3ページ目

「徳は弧ならず、必ず隣あり。」

私が

カノジョたちを

尊敬する最大の理由は、


歌を歌い終わった後の“一礼”にある。



深々と、決してサセラレテイルという受動的なものではなく、


“感謝”


というコトバが滲み出ている所作であり、最もカノジョたちの美しさを感じ取れることが出来る瞬間だ。



この礼儀作法の真の意味をカノジョたち自身が真に理解できるようになったのは、いつぐらいからなのだろうか………………。




6年前

14、15歳の少女たちには、
そのことを理解するには若過ぎたに違いない。



相当に厳格な指導者の指導を受け、

毎日叱られ、泣き、苦しんだことだろう。




其れでも、


辞めずに、やって来た。


その自信と感謝の均衡の執れた一礼は、


良い意味で、力の抜けた自然体で、シルエットが美しい。




私は、

幸運にも、世界の様々な人達に巡り会う。

其の度に、礼儀作法を身に付けた紳士、淑女たちの澱みのない美しい所作は、

自ずとその方たちの内面までも現れてくるものだ。

それに接する度に、ワタシは、

「自分には、それが備わっているか?」と反復し、自省する。




40代に入り、


毎日欠かさず読み返し、気の付いた際は、必ず、書き記す作業をするようにしていることがある。



それは、

『論語』である。



教科書で出会うのが一般的だが、


私の場合、初めて出会ったのが、


小学校2年生だった。



母方の父、私の祖父から御指導を賜った。


最初は、チンプンカンプン。


声に出して読む作業の繰返しで、この授業は、苦痛と忍耐力を一番学んだ時だったのかもしれない。


“孔子先生と弟子の会話を書いた本”であるが、

太平洋戦争敗戦まで、

江戸時代から、300年間政治体制を維持するために、支配者の都合の良いイデオロギーとして利用され、本来の解釈は無視され続けてしまった。



現代社会、複雑で、混乱した社会の中で生きていくための実践的な処世術として今一度、読み返しているのだが、


意識してか、無意識なのかは検討もつかないが、


まさに、先生と弟子とのやり取りを、実践しているのでは?と連想してしまうのが、

カノジョたちの活動なのである。




人の己(おのれ)を知らざることを患(うれ)えず、

人を知らざることを患う。


他人から、評価されないと嘆くよりも、自分の視野が狭くて、他人の真の力量を公正に評価できずにいる自分を責めるべきだ。




憤せずんば啓せず。

排せずんば発せず。

一隅を挙げてこれを示し、三遇を以て反(か)えらざれば、

則ち復せず。



あることを勉強し、理解しようとしても、
思うようにゆかなくて、悩み苦しんで苛立つようでなくては、指導しない。

心では理解できたが、それを口に言い表すことが出来なくて悶え苦しむようでなければ、ヒントは与えない。


一を教えたら、残りは、自分で類推して、三倍の答えや疑問を返してくるのでなければ、二度と教えない。






徳は弧ならず、必ず、隣にあり。



高潔でやさしい心のある勇気ある人が、必ずしもトクをするとは限らないのは、いつの世でも同じである。
現代においては、それを実践しようと思えば、
孤立になりがちである。

しかし、

それは、一時的でなもので、

必ず、貴女を見てくれていて共感し、共に、歩んでくれる理解者が現れるから心配ない。




最後の言葉をまさに体現して魅せているのが、

カノジョたちではないだろうか?



カノジョたちは、口々に否定するかもしれない。

「徳などない。」と。


しかしながら、


私には、一礼から醸し出されるものに、

カノジョたちの汗と涙に明け暮れた毎日の日常の成果に素直に感謝している姿にしか見えてこないのだ。






今回、


ある者は、

慣れ親しんだ旗艦から、自ら、下船し、

自らの足と意志で、未開の地を切り開こうと踏み出した。




また、

ある者は、

新たな船に乗り込み、自らの力を試し、

更なる高みを掴もうと、

もがく場を得た。




この2人をみて、

他のカノジョたちは、思い知るのではないだろうか。

力足らざる者は、中道にして廃す。

今、汝は画(かぎ)れり。


「力を尽くしている者は、途中で倒れるまでやるんだよ。

お前は、倒れていないだろ。」と……………。





可能性をもっているカノジョたちから、学ぶべきことが多いと私は、実感している。













amaimono

バッチコイ!! K!!!②

やはり




この時期のニューヨークはLondonとは異なり、寒いながらも太陽が眩しく気持ちが良い。


26日は、クライアントとのパワーランチを数回こなした。

ビジネス面ばかりでなく、食欲を魅せ付けて、健康面をアピールするのも


私の仕事の一つである。


体格の違い過ぎるアメリカ人と、競うようにステーキを何枚も食べなければいけない為、

東海岸に向かうPj内では、コーヒーやミネラルウォーターしか摂らないようにした。


加えて

最近、大好きなチョコレイトを控えるようになった。

日本に戻って来る回数が増えたせいもあり、

どうしても“母国の味”を欲張り過ぎてしまうからだ。



オーダーメイドとは言え、スーツは、私の戦闘服であるから、

シルエットが崩れるわけにはいかないし、年齢からくる筋肉の衰えに抗うように、トレーニングと連動しながら、食事によるコントロールが不可欠になっている。



好きなものを好きなだけ食べていた若い頃が懐かしく、恨めしい。





27日早朝から、前日にLondonから合流した同僚の運転で、ワシントンD.C.に移動した。



此処は、言わずと知れた国際政治の中心都市。


プリンストン時代の旧友たちが、

今では

“ワシントンD.C.の住人”として、第一線で活躍している。



今回は、公私共に、彼等と語らい、今後の政治・経済について議論を重ねる予定になっている。

31日まで滞在の予定だ。


とは言うものの


ココに、異次元の興奮状態を晒しながら、落ち着かない方が居る。



私の同僚である“ベス”こと、エリザベスである。




勿論

仕事がメイン!?でワシントンD.C.に来ているのだが、

今回のベスは、いつもとは異なり、MAXハイテンションだ。




原因は

リンカーン・シアターで催されるカノジョたちの2回公演を観ることができるからだった。


カノジョたちのコンサートには

我々は米政府関係からの招待を受けていた。



彼女自身

イギリス一、『高橋みなみさん推し』を自認しているが、公演を生で拝見するのは、初めてだったのだ。


相当楽しかったに違いない。



本日は、かなり、かなりの上機嫌である。






そういう私も観たのか?というと、


残念ながら、参戦すること叶わずだった。


“D.C.の住人たち”は

原則的に、ワタシ以上に


“24時間戦えますか?”人間なので、


会う側の私の方が、此処では、無条件に彼らのスケジュールに合わせなくてはならない。


依って


カノジョたちの2公演は、キャンセルした。




今回は、ベスの力を借りて更にイギリスの紳士淑女にカノジョたちの魅力を語って貰おう。


『NamaーTakamina!!』について………………。


(落ちがあるのかどうかが心配だガーンガーンガーン)




ところで、私には、


今回のD.C.滞在のもうひとつの楽しみが有る。



30日、ワシントン・ナショナルギャラリーで開催される


「色彩の世界 伊藤若冲(いとうじゃくちゅう) 日本花鳥画展」である。



今回


宮内庁所蔵の『動植綵絵(どうしょくさいえ)』30幅が、拝見デキルのだ。




私の生涯で一度診ることが出来るか否かと考えていた彼の最高傑作だ。


昔から伊藤若冲は大好きで、画集は何冊かLondonに持ってきている。

『動植綵絵』を直に視ることは楽しみで仕方がない。


精緻極まる細密な描写

其の絵に託された「草木国土悉皆成仏」の仏教思想の現れを間近で対峙してみたい。







amaimono







[追記]



次回は、この数日間のカノジョたちについて

私の感じたことを載せたいと考えている。

バッチコイ!! K!!!①

3月23日


東京に戻った足で、姪っ子の住まいになりつつある自宅には立ち寄らず、さいたま新都心を目指すことにした。


空港に迎えに来てくれた姪っ子の運転技術は

帰国する度に上手くなっている。


(どうやら、私のクルマも錆びずに元気そうにやっているようだ。)



スーパーアリーナで

母、姉と合流して、食事を執った。



其れにしても

此の方たち、“なでしこ3人衆”は、強運の持ち主たちだ。

カノジョたちのこととなると、

驚異的な“引き”の強さを有しているので、感心する。

今回の3日間公演全てを引き当てたのだから…………ショック!


ワタシはというと、初戦だけ観ることが出来た。

良しとしなければならないし、

自分の運は、仕事で用いたいと考えているので、1日だけというのが丁度よい。
(少々、口惜しいが…………ガーンガーンガーン)


座席は、

母と姉がアリーナ席のど真ん中で、

姪っ子と私は、スタンド席のステージ真正面であった。


このポジションは、姪っ子とワタシにとって、ベストであり、チームパフォーマンスを上から俯瞰して観ることが可能な最高の場所だった。




3連戦の初戦、1試合目は、
昨夏、西武ドームでの反省を踏まえており、全体的にまずまずの良い内容だったのではないかと感じた。


大観衆の中で行うということを、最大限意識したパフォーマンスを随所に魅せていただけたことは、成長を窺えた。




但し、

“板(ステージ)の上に立つプロ”としては、まだまだ、改善する点が多々有ることも事実である。



「忙しくて、時間がない」という理由が、いつまでも通用する道理はなく、

板上で、プロフェッショナルを魅せ、支払われた出演料を生業とする職業を選んだ以上、

私を釘付けにするパフォーマンスを魅せ付けなければならない。


また、練習量の差だけではない、演技の質の優劣がハッキリと曝け出てしまっていた。



名古屋や大阪のカノジョたちのパフォーマンスは、

時間が云々、練習量が云々という戯れ言抜きに、安定感があり、素晴らしかった。

隊列の調ったリズミカルなダンスに加え、書道でいうところの“とめ”、“はね”ともいうべき腕の振りの上下動が、シャープでしなやかであり、遠目から診ていても綺麗だった。


だが、東京の研究生たちは、正直、いただけなかった。

演目をノリでやってしまっている感が否めず、違和感で一杯になってしまった。

カノジョたちの選抜メンバーについても付け加えなければならない。

新曲では、楽器を用いてのパフォーマンスであった。

“楽器”という道具は、正直なものである。


出来るかどうか、演奏してみれば、即座に判明してしまう。


毎日の練習の積み重ねでしか成果が出ないからだ。


毎日、やればやるだけ上達するが、

1日でも触れなければ、後れを取り戻すのに3日は掛かり、
3日休めば、勘を取り戻すのにも、1週間は掛かるだろう。



各言う私も、幼稚園児から高校2年まで、ピアノを習っていたからコレだけは実感できる。



私は、小、中、高校と、朝6時に起床し、毎日一時間強ピアノの練習をしなければ、学校に行かせて貰えなかった。


例え、寝坊したとしても最低限1時間の練習はワタシに課された仕事であったので、

其の度に、母が、受話器を取り、遅刻する旨の連絡を、担任教師に入れていた。



今の時代、男が、ピアノを習うことが恥ずかしいと感じるのか、分からないが、

当時の私にとって、遅刻の理由が、「寝坊してのピアノの練習」というのは、

非常に恥ずかしく、堪えられない屈辱であったので、

小学生時代は、涙ながらに走って登校したものだ。


ソンナコトもあって、今の私は、寝坊する自分は、決して許せないし、もっとも人間が必要不可欠な睡眠を如何に削減して、手際よくヤるべきことをやるかということが、小さい頃から恥をかくことに依って身に付いたとも言える。




不慣れな楽器、思うように演奏できないもどかしさ、同時に、不完全なまま、衆目の前で晒さなければならない緊張感。


様々な思いがメンバー各々の心の中に去来したハズだ。



総ての人間に
24時間は与えられている。

如何に活用し、効率良く使うことが出来るかが、この曲の楽器演奏による副産物となる。


カノジョたちには、モノにしていただきたいと願っている。



因みに

今の私の平均睡眠時間は、移動中は別にして

3時間である。



(まぁ、大学時代に寝過ぎていたし、現在は、仕事中毒症!?という病気にかかっているのだろうニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコ)



最後に

カノジョたちの美術部が創設されたということで

少しだけ期待していたのだが、


東京ドームでは、

舞台幕、背景には、カノジョたちの絵画を侍らせて欲しい。




マルク・シャガール並みとまでは言わないが、


シャガールの描いた

『青いサーカス』や、バレエ『アレコ』



ロートレックのムーランルージュのようなポスター



是非とも挑戦して欲しい。







其れにしても、



バッチコイ!!!!!!

タイムリーで、素晴らしいアレンジだと感心した。





愉しかったの一言、ありがとう。









では、日本を発つことにしよう。





今度は、ニューヨークからのワシントンD.Cだ飛行機飛行機飛行機飛行機飛行機



















amaimono