うみへいく -82ページ目

こんにちは。


本日のお天気はすこぶる快晴でしたね。






おかげさまで下の息子の運動会も無事に終了しました。


小学校最後の運動会でした。




天候が昨日一昨日と荒れていたのでちょっと心配しましたが、見事なまでの秋晴れとなりました。


皆様の小学校ではどうだったでしょうか?


世のお父様方もお仕事にお疲れのところ、お休みの日に一日大変お疲れ様でした。


午後からあちらこちらでお昼寝しているお父様方を見かけて、どこも同じなんだなぁ(^_^;)と思ったりしてました(笑)。




もちろん、朝早くからお弁当を作ってお子様を送り出されたお母様方も日焼けなどされてお疲れになられたことでしょう。


今夜は皆様、ごゆっくりお過ごしください。




さて、日頃ニュース検索をよくしているので目に留まる記事を読んだときは、ふとブログアップしたいと思ってはいるのですが、思うだけでなかなか実現できずにいる私です。


どうしても仕事の合間になってしまうので、疲れるともう書けなくなっちゃうんですねショック!


そう思うと芸能人の方などは、お仕事の一環としてもブログを上げたりなさっているのでしょうから、すごいなぁと思います。




そんなブログの中に「北斗晶」さんのものがありますが、もう皆様ご存じですよね。


自ら乳がんや生存確率などを公表されて、入院中もブログアップなさっていました。


確か本日退院となされたかと思われます。


こちらのご夫婦は本当に仲が良くて、お子様たちも幸せだと思うのですが、今回のがんの発病は、それだけにお辛かったことだと思います。




北斗さんのおかげで、乳がんは遺伝とは関係なく起こり、進行の早いものもあるのだ、という現実をたくさんの女性の方々は思われたのではないでしょうか?


かくいう私も二十歳頃にたった一度マンモグラフィーをやっただけで、二十数年もの間放置してきました。


違和感もなく、元気でいるので、まさか自分は乳がんにはならないだろう、という慢心がありました。




けれど、この度きちんと予約を取ってまいりましたチョキ


今月19日に近くの総合病院の外科にて、乳がん検診に行ってまいります。


最近のマンモは進化したのでしょうか??痛いという話をよく耳にしますが、自分が二十歳の時はどうだったかもう覚えていないのですよね(笑)。


どうか思うほど痛くありませんように。




でも重い腰を上げることができたのも、北斗さんのおかげです。


こう思うと、芸能人の方が発信する内容というものは、結構一般人に影響を与えるものなんだなぁ、と思いました。


北斗晶さんに感謝です。


これから長い抗がん剤治療は本当に大変かとは思いますが、是非打ち勝って希望を与えて欲しいと勝手に思っております。




がんという病気は本当に難しいですね。


まだ未解明な部分が多くありそうです。


抗がん剤を使用することにも是非がありますよね。


川島なお美さんは自ら抗がん剤治療を拒否なさいました。


がんを宣告された後、どう生きるか自分で決めれば後悔も少ないかもしれません。


命の長さではなく、どう生きるかなのかもしれません。


でもその選択は本当に経験者にしかわからない恐怖だろうと思います。




私の父はあるとき胃がんを発症しました。




定期健診には行っていました。でも健診ではがんは発見されませんでした。


最初は胃もたれがする、と訴えていました。胃に違和感というか、なんかおかしいという感覚だと。


でも痛いわけではない、と。そこで市販の神経性胃炎用の薬を自分で飲んでいました。


でもまったく症状はなくならず、ある晩腹痛でのたうちまわり、救急搬送となりました。


腹痛の原因は腸閉塞だったのですが、その際に胃がんも見つかったというわけです。


ステージも進んでおり、胃は全摘、リンパ節への転移があったためリンパ節も摘出しました。




父は見る間にがりがりに痩せてしまいました。


手術後抗がん剤治療が始まりましたが、効果はよくわからず、いたずらに父の体力を奪うばかりでしたので、家族で話し合い、医師の意見を聞いて、途中で抗がん剤治療は中止しました。


その際の余命は「半年」と言われていました。




父の胃がんを告知されたとき、また余命を告知されたとき、自分が何を感じたのか今となってはあまり記憶にありません。ただおどろいて、何か治せる方法はないのか、民間療法でもいい、と必至な思いになったことは確かです。


父はがんで死ぬのか?という現実はあまりよくわからなくて、これからどう弱っていくのかも想像できなくて茫然としていたように思います。


父本人は気の弱い人でしたが、子供の前ではあまり弱音を吐かなかったように思います。


でも後に、がんの恐怖のためお酒に走り、結局は脳梗塞から痙攣、肺炎を起こして死亡しました。




ただ、抗がん剤をやめて以降、目立ってがんの進行があったかというとそれもなくて、がんそのものはそれほど悪さをしなかったのは事実です。


余命半年宣告の父は5年間生きて、肺炎で死去したわけです。


なので、生存率とか余命宣告というのはよくわからないものだな、と当時思いました。




けれど、父の胃がんがわかってすぐ、実は義兄のお父様も同じ胃がんがみつかっており、この方の場合は胃がんといっても「スキルス」の方でしたので、姉によるとかなり過酷な最期を迎えられたとのことでした。


私の母方の祖母は白血病でなくなっており、また友人も悪性リンパ腫ややはり白血病などで亡くなっています。


総じてやはり、がんは怖いと切実に思います。




実は私は数年前に子宮頸がんの疑いをかけられ、コルポ検査まで受けたことがあります(鉄欠乏性貧血の頁で書いていますが。


頸がんの可能性、と言われただけで目の前が真っ白になりました。


考えなくてはならないことがたくさんあると思いました。


そして自然とまずは子供のことを考えました。


がんであるならば子宮は全摘してもらい子供のために生きる道を取らなければ、と思いました。


同時に言葉では言えない恐怖で胸がいっぱいになりました。


夫にそれを告げた時も淡々と言うのが精一杯で、医者の言ったこと以外で伝えたい言葉はありませんでした。(夫に関してはちょっと特殊なのでまた後日別の話題でお話ししますが)




幸い最終検査結果は陰性だったのですが、このときはじめてがんを身近に感じた気がします。




私はターミナル患者さんのいる病棟で勤務していた時期がありますが、父の闘病も含め、がん患者さんの努力を目の当たりにしていたのではありますが、「その恐怖」についてはまるでわからなかったのです。


親身に寄り添っているつもりで、まるでわかっていなかったことを、自分ががんかもしれないと医師から言われたときに初めてわかったのです。




今現在、がんと闘っておられる方は世界中にどれほどおられるか、そのご本人様、そして近親者方々の努力が報われることをただただ願うばかりです。


そして人類ががんを克服できる日が来ることを願うばかりです。




元気でいることは決して当たり前のことではないのだと思い、真摯に自分の体のメンテナンスをすることが必要ですね。


今のこの体、いろいろポンコツではありますが、まだまだ元気なので本当に感謝です。


私の体を作る細胞ひとつひとつに感謝です。

お盆休みの最中に、大阪の寝屋川市で筆舌に尽くしがたい、悲しい事件が起きてしまいました。
まずはお亡くなりになられたお二人のお子様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

私にも二人の子供がおり、亡くなられたお子様と年齢が変わりません。
このような残酷な結末を迎えることを余儀なくされたご両親様、お身内の方々の心痛を考えますと、ただただ胸がつまる思いです。

私の子供もそうですが、この年齢の子供は親からの離脱を求めると同時に、親からの愛情を確認したい年頃でしょう。
大人への階段を上がるために、自己の中の不安定さと闘い、自由を求め、新しい世界を求め、そして愛されていることを感じたい、思春期の直中です。

ご家庭の事情は外からはわからないものです。

この子たちが何故夜間の外出を繰り返していたのか、またそれをご両親が看過していたのかそとも幾度となく注意しながらも止めきれなかったのかは、他者があれやこれやと推測できるものではありません。

残念ながら、どこの国、いつの時代にも狂人と言ってしまって良いのか適当な言葉が見つかりませんが、一般的には考えられない発想のもとに暴走して取り返しのつかない過ちを犯す人間は存在し、ほんのわずかな隙に、予想もし得なかった残酷な結末をもたらしてしまうことがあるのだろうと思います。
今は、誰よりも親御さんが、ご自身の責務を強く感じられ身を引き裂かれるような責めをご自身にぶつけていらっしゃることだと思います。残されたお子様のためにも、そのお心が潰れきってしまわないようにと願うばかりです。

この事件に関する、匿名の恐ろしいデマや、同じく匿名での責任の所在をひたすら断罪する声を目にしますが、そういった世の中にこそ、深い闇があるように、私個人は感じてしまいます。

この容疑者には前科があり、刑務所から出所して、福島での除染作業員として働いていたとのことですが、職場で何やらをやらかし、退職となったとのこと。

職がなくなり、お盆休みで帰省し、不安と弛んだ気持ちから、本質的な欲望を抑えることが出来なくなったのでしょう。

彼は前科では殺人までは犯していません。
人を殺めさえしなければ、ちょっと刑務所に入れられるくらいたいしたことではない程度の認識しかなかったのではないでしょうか?
だからこそ、帰省中にまた同じことを軽い気持ちで繰り返し、しかしながら今度は殺めるところまで至ってしまった。
その心理はえらいことをしてしまったというわずかな後悔と、それを遥かに上回る、してやったのだ!という強い支配感と高揚感に満ちたものではなかったかと感じられます。

恐怖に怯える二人の子供の姿を見ることで高まる支配感こそが、彼の不安定な現状を現実逃避させる満足感となったのだはないかと考えると、この人間の異常性が見えてくるように思えます。

世の中には、こちらの予想の斜め上をゆく、狂った思考の持ち主がうろうろしているという事実を、子供たちには知って欲しいと願います。
そしてそういう人間が活動しやすい深夜、あるいは人気の少ない早朝、場所、などに我が子を出すことのリスクを、親は今一度考える必要があります。

そのような場面に出くわしたとき、どうやってその命を守るのか。親子で普段から話し合いをしなくてはならないのではないでしょうか。

この容疑者を育てた親御さんも、この人の子供時代から聞かれる異常性について、正面から向き合われてきたことがあったのか、我が身を含め再度子育てというものを真摯に考えてみるべきだと思います。
8月8日。

なんとまあ、末広がりでおめでたい日に、この人は逝くのだろうと、10年前の夏に父の遺体に目を落として思いました。

エンジェルケアを受ける父のまだ温かな体の様子を私は今も鮮明に覚えています。

私の両親は非常に不仲で、家庭内別居状態でした。

父の遺体にほんの数秒間、額をつけて、さっと顔をあげた母の目は頑なでした。
涙ひとつ溢れるわけでなく、毅然とその部屋を出ていきました。清々しいくらいに。

その母も、去年の8月8日に3度目のくも膜下出血により昏倒し、奇跡的に命はとりとめましたが、高次脳機能障害と、左半身麻痺および、左視野損失という重度障害者となりました。

去年の8月1日に、単身母の住む実家に一泊して、翌日久しぶりに母の作る野菜中心の朝食を頂き、私は関西に帰りました。その一週間後にこんなことになるとは考えてもみませんでした。

去年は私の家族にも色々問題が起こりましたので、次男に言わせると地獄の一年(・_・;)というところです。

その地獄の一年のためにしんどくて、ますます体調不良に陥った私に、多くの人たちから手を差し伸べていただき、カウンセリングやセラピーも受けて今に至ります。


私は昨夜、息子二人が外出している間に、布団に顔を押し付けて声の限り泣きました。

頭の中は、父のこと、母のこと、我が子のこと、大切な友達のことでいっぱいになり、
声をあげて泣いてしまいました。

これまでの私の心の傷は消えることはありません。

でも、無理矢理閉じていた蓋を開けられたような気持ちは良かったと思いました。

父の遺影にお線香を立て、父が好きだったバナナ(笑)を供えて手を合わせます。

長男の大学AO入試合格の通知も頂き、それも感謝しながら私は祈ります。

今日と同じ蝉の鳴き声に埋もれるような暑い夏の日、父は逝き、母は私を認識できていた最後の笑顔を見せて倒れました。

「実家を遠く離れ、一人で子育てをしてきたあなたの苦労はどんなものだったか。でも見てごらんなさい、自分の二人の子供たちを。こんなに立派になって。これは、あなたが努力してきたことの、頑張ってきたことの答えだわね。充分でしょう?」

何事にも厳しくて、私を誉めることなどなかった母の、倒れる直前の私への言葉でした。
この言葉はずっと私の中に響き続けることでしょう。
この先いつでも、きっと、ずっと・・・。
ちょっとご無沙汰しています。
書きたいことはちょこちょこあるのですが、なかなか時間が取れません。
って・・言い訳です(^_^;)。


7月に人生初の「ヒプノセラピー」を受けてきました。

お初でしたがいきなり前世療法なるものを受けてみました。

ちょっと疑り深い私なので簡単に催眠にはかからないよ、と思っていましたが、
簡単にかかってしまいました(笑)。


今でも不思議です。
先生がガイドしてくださるのですが、自分の意思とは無関係に口が勝手にしゃべるというか。
脳裏にいろいろな映像が浮かんでくるので、考える間もなくそれをしゃべる感じです。

もしかしたら自分の妄想なのかもしれません。

でも結局は自分で答えを出すのだと思うので、私的には好きな展開でした。
3時間かけたのですが、体感的にはもっと短いです。
それでいて、体力はものすごく疲れます。

私はかなり泣いてしまったので・・・というか恐怖の再現を行ったため殊更疲れてしまったかなと思います。

もう一度だけお伺いしてみれたらなぁとは考えています。

結果から言えば、つまり私は「誰かを助けるために、その人と出会っているわけではない」ということ。

それがわかってちょっとすっとした気持ちでした。
ついつい自己犠牲を払いがちになるタイプで、それによる不幸の連鎖の中に身投げしてしまう癖があるので。

カサンドラ症候群
に悩まされていることも事実ではあるのですが、
あの人を救わねばならないのか、とずっと考えていたので、そうではない、と知ってほっとしています。
私は、私の人生を生きたいのです。生きていいのだろうと思いました。

こう生きたかった自分というものを再認識した気がします。
「こうしなければならない」という責任感が強烈すぎて、子供たちまで縛ってしまい、夫にも縛られてしまって、
それを周りのせいにして「不幸だ」と感じていたのだと思いました。
いや、むかついてますけどね(笑)。

子供を解放する意味でも、まず自分を解放すべき時がきたのかなと感じました。

なんだかんだと言って、素敵なひとたちに結構出逢って導かれているんですよね。
直にお会いすることもない人にすら。

たとえば松本秀人さんとかねドキドキ(また彼を出す( ´艸`))。

生きてるといろんなことばありますね。
明日はどんな一日でしょう。

今夜のBULE MOONに祈りを捧げます。
私の大切な人たちが幸せでありますように。
こんばんは。
ようやく一週間が終わります。


土曜日は尊敬する臨床心理士の先生のところに伺います。
お話が止まらなそう(笑)。

さて、先程例の焼き肉をご一緒した親友(ひーたん)と話してまして、その友が私のことを「泥水」だと揶揄して笑いました。
人生の中で、自分が「泥水」呼ばわりされる日が来るとは思っておらずキョトンとしてしまいましたが(笑)、つまりはこういうことです。

その人は自分は「純水」だと言うのです(笑)。

そして、純度の高い水は、高すぎると人を殺めることすらあるのだと言うわけです。


友は、人生において、想像を絶する苦痛を受け、それを克服しつつあるという、人間的にも非常に努力家で、また聡明な人物です。

その生き方やポリシーは誇り高いもので、ぐうたら生きてる私から見たら目がつぶれるくらい眩しい存在です(笑)。

でも、私は知っています。
その苦痛がどれほどのものか。
それをどうやって胸の奥深くに押し込め、笑顔で日々を過ごし、自分の責任をきちんと果たしているか。
その強さ、しなやかさ。
そして、その裏にある誰にも見せない脆さ。

だから友が、自分を「純水」だと例えるのは、多少冗談もあるでしょうが、そう例えられても私には納得のいくことなのです。
友は決して傲り高ぶっているのではありません。
私にはよくわかります。

泥水の私は友を濁すかも知れません。汚すかもしれません。
でもきっと、中庸を互いに得るためには、互いが必要なことを、友はよくわかっていて、少し意地悪く、少しわざと上から、そんな風に言ったのでしょう。

泥水は濾過をして、高度な純水と混ざれば、その水は少しはまろやかになることでしょう。

私の誇るべき友人は、そんな例えをサラリと笑いながらできる人なのです。

私はいつも、愛すべき友の心が疲れきってしまわなければいいと願っています。

友が私を支えるように、私も友を支える存在であれるように、と願っています。