奈良は、観光地としては好きでしたが、住むとなると勝手が違います。
土地勘もないですし、友達も知人もなく、もちろん実家も遠いわけですから、体調不良も相まって私の不安は相当なものでした。
夫は奈良では単身赴任ではなく、自宅から通えるとのことでした。
しかし、引っ越しの段ボールに囲まれた中で夫の温かい手が差し伸べられることはありませんでした

。積み上げられた段ボールの壁を見ながら、生後2ヶ月の我が子を抱いて、お箸ひとつ何処にあるのかわからない状態に途方に暮れてた日を今でも思い出します。まぁもうある意味笑い話ですけど。
夫が引っ越し荷物の解体を手伝ってくれなかったのは「仕事だから」の理由だけです。
私は赤ちゃんの世話をしながら少しずつ荷解きをするしかありませんでした。
息子1はよく泣きました。
ベビーカーで外に買い物に行くときも、いつもサイレンを鳴らしてるかのように、激しく泣いていました。
夜泣きは1年間続き、夜泣きと入れ替わりで夕泣きが始まりました。
一度にミルクを飲む量が少ないので、授乳と授乳の間は短く、私は心底寝不足続きでした。
夕飯は片足で息子が寝ている揺り籠を揺らしながら作って、作り終わると薄暗がりの中、誰もいなくなった公園で息子1を抱き、歌を歌いながらブランコに座って過ごしました。毎日、毎日です。
そんな様子を夫に話したりもしましたが、面白そうに「そうなんだ」という返事が来るだけです。
夫は帰宅するととにかくテレビでした。テレビでないときはパソコンです。
そうなるともちろん、夫の全ての動作が止まるのでなにもしません。
あまりにテレビ漬けなので文句を言ったら、【じゃあ僕はいつ見たらえーねん!】とキレて吐き捨てられました。
まるで私が日中テレビを見ているかのような(^-^;)。
当然ですがテレビなど、ほぼ見てる余裕はありませんでしたよ。生後2ケ月の赤ちゃんを持つお母さんたちに訊ねてみたらわかると思います(笑)。
そんな余裕ないですよね。あるならむしろテレビより寝ておきたいです。
とにかく無我夢中で育児と家事をしていたのですから、そのキレ方はショックでした。
他にも、妊娠中でさえ、大きなお腹をさすって思わずため息を吐く姿を、【僕に当て付けてるようでめっちゃ不愉快】と、友人にメールしているのを見てしまいました。
パソコンメールだったので、送信後、画面がそのままだったんですよね(笑)。迂闊な人です。
夫は基本的に自分を疑わないのです。
自分が間違っているかもしれない、という疑惑は抱きません。
そして仕事をすることだけで彼のキャパはいっぱいっぱいだったのでしょうね。
もちろん、「家族のために働いている」という思いは偽物ではなかったでしょうし。
それは私もわかっていたので、真面目に働いてお金を入れてもらっていることについては素直に感謝していました。
ですから、子供たちには常に「お父さんのおかげでご飯食べられるし、玩具も買えるんだよ」と教えていました。ここ2年くらい前までは。
私は馴れない育児にとにかく必死でした。そのうち同じ年の赤ちゃんを持つママさんとお友だちになり、夫の自分勝手にもあまり関心が向かなくなり、自分なりに育児をしていたと思います。
やがて息子は首が座り、ハイハイをし、1歳を過ぎた頃に立って歩き始めました。
さぁ、歩き始めたここからが本番です。
息子1の本領発揮です
。歩き始めてみると、息子1が非常によく動き回る子供であることが見えてきました。
私がわずかに目を離した隙にあっという間にいなくなるのです。
ほんのちょっとの隙に私のもとを抜け出して階段から転げ落ちて顔面血まみれになったり、目の近くを階段で切ったり、頭を打ったり、滑り台の階段から落ちた時は脳震盪を起こして救急車にも乗りました。
この脳震盪事件は、私の人生初の救急車体験となりました。
息子1は転落しても泣かず、起きることもせず、微動だにしませんでした。私は慌てて駆け寄りましたが、意識はすでになく、その体温が見る間に下がり、白目を剥いて痙攣し、口から涎を垂らしていました。
けれど医療や救命措置の知識がなかった私は大パニックに陥って息子1を抱きかかえたまま泣き叫ぶしかできませんでした。
息子1は死んでしまうのではないか、と思い、自分の髪の毛がすべて真っ白になるんじゃないかと言うくらい胸が張り裂けそうにがくがくしていました。
異変に気付いた公園の管理人さんが急いで救急車を要請してくれました。
実際は5分程と思いますが、救急車が来るまでが凄く長く感じられました。
やがてそのサイレンが聞こえてくる頃、息子1の体温が戻ってきて、救急隊が到着した時には泣き始めていました。
救急隊員は「これなら大丈夫」だよ、と優しく言ってくださいましたが、私は無知すぎてただただ顔面蒼白、パニックで何も考えられない状態に陥っていました。
息子1と言う子はまず人見知りをしません。
誰にでもついていきます。
私(母)がいなくても全然気にしません。
絶えずどこかへと走っていってしまうので、私はいつもそれを追いかけたり、名前を叫んだりしていました。
スーパーに入ると、入った途端に何処かへ行ってしまいます。
呼んでも戻りません。
つないだ手など振りほどいて走って行ってしまいます。
スーパーのお菓子コーナーで勝手にお菓子を食べていたこともあります。(もちろんレジで平謝りして支払しましたけれど)
そんな子なので怪我も本当に多かったのです。
救急搬送された先の病院で脳の検査をした息子1は、何事もなく異常もなく元気で戻ってきました。
むしろ医者からは「お母さんの顔色、緑色やで」と半ば笑って言われて心配されました。
私は全身の毛が抜けたような虚脱感でいっぱいになっていましたから。
緑色っていうのはなんかすごい表現ですけど(笑)。
以後私はその公園には2度と近づくことさえ出来ず、救急車のサイレンもしばらくはダメでした。公園の滑り台には「お子様から目を離されませんように」という貼り紙が貼り出されたとか。お恥ずかしいことです。
それ以降、私は人ごみでは息子1にハーネスを付けるようになりました。
見る人によっては賛否両論だったようですけど、そんなこと言ってられないと思いましたので。
この時点で「多動」を疑ってもよかっただろうと、今なら思うのですが、当時の私には本当に知識がなく、初めての子供で男の子ときたらこんなものなのかな?くらいにしか思わなかったのです。
ちなみに、怪我が多いことは両実家から「母親としてどうなんだ?」というお叱りは受けていました(^_^;)。
ほんと、すみません( ̄* ̄ )。
全部私が悪いんだろう、と思っていた日々でした。
ちなみに、夫ですが、頭に怪我をした時はもちろん事情を話したら仕事の途中で抜けて病院へ来てくれましたよ。
ただ救急車の時は来ませんでしたね。
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