発達障害長男の育児経過 ① | うみへいく
●広汎性発達障害の長男(息子1)・17歳●

本日よりしばらく、息子1についてお話してみたいと思います。
自分自身の頭の中の整理のためにも。

息子1を育てるにあたって、息子1がどうであり、私に何があって、夫との関係の何がしんどかったのかを振り返ってみようと思います。



息子1は現在高校3年生です。
有り難いことに普通学級でここまで来ました。
言葉にできない頑張りを、本人がこなしてきてくれた結果と思っています。



さて、まずは私の妊娠と出産から。

結婚してすぐ、私は不定期排卵と子宮筋腫の診断を受け、妊娠困難と言われました。
しかもこれから子供を、と考えてたところなのに、最初に受診した婦人科では「子宮全摘だよ、こんなの」と言い捨てられました(-"-;A。
そこの婦人科は早々にやめて次のところへ行きましたけど。

私は関東(神奈川)から関西(大阪)に嫁いできて、ほぼ単身赴任で帰宅しない夫相手に寂しい日々だったので、子供が欲しいと思って検査したのです。

結局いくつか婦人科を巡って、排卵誘発剤を使用し、なんとか妊娠に漕ぎ着けました。
しかし、29週の時に、育ってしまった筋腫のせいか激しい腹痛を起こして病院へ行ったところ、子宮口が開いてしまっていて、緊急入院となったのでした。

たまたま実家にいたので、そのまま関東に滞在となり、夫は関西で仕事、という形になりました。

私は当時はまだ両親との関係もあまりよくなかったですし、両親そのものが不仲でもあったので、実家は居心地が悪かったのですが、緊急入院では仕方ないことでした。
入院中は、週に1度両親が顔を出してくれましたが、洗濯物を取りに来るだけで、5分もしたら帰ってしまいます(^_^;)。
同室の方から、「冷たいのね、お姑さんなの?」と訊かれたくらいです(笑)。
他の人は地元ですから、ほぼ毎日旦那様やお子様が夕方から夜になると来られて、仲良さげに談笑されていました。それはとてもとても微笑ましく、そして寂しい光景だったことを覚えています。

私は24時間点滴に繋がれてベッドの上。
トイレと洗顔以外は動くの禁止で、お風呂も禁止。
出産までの2ヶ月間その生活が続きました(つまり、2ヶ月間お風呂に入れなかったんですよー、辛かったですねにひひあせる。)


初めての子供ですし、入院も妊娠生活も出産も不安しかなく、なんでこんな思いをしなくてはならないんだろう?とずっと思っていました(^-^;)。子供が欲しいと簡単に思ったことを少し後悔していましたね。
妊娠って簡単じゃないんだなぁ、と。
予期せぬ監禁生活ですから(笑)。毎日ベッド上の天井と窓の外しか見ない生活は、それはもう心が腐ります。

救いだったのは同じように切迫早産で入院しているメンバーばかりだったことです。
病院の配慮だと思いますが。
2週間ほどしたころから馴れてきて、さながら女子会のようなノリになっていました。
皆怖かったと思うのですが、そうやって笑っていた方が元気が出ることがわかっていたと思います。
あとは定期検診も楽しみでした。
これは週に1度診てもらえるので(通常の妊娠だと検診と検診の間はもっと離れています)、赤ちゃんの状態を目で見れることはすごく励みになりました。

お風呂に入っていないオマタを広げるのは過酷でしたけどね(;´Д`)ノ。先生もお気の毒。
(一応トイレのビデで洗ってから受診してましたけど・・・あせる


ところで。
実は妊娠した時に、無事に出産までたどり着けず、早産で摘出したら母子ともに命の保証は出来かねます、という宣告も受けていまして、なかなか精神的にも過酷な日々だったのです。

この宣告を受けた時の私がどんな気持ちだったかと言うと、正直ぼんやりさんだったと思います。
いえ、ショックはショックでした。
さて、どうしたものか、と思ったし、結構一人で泣いたような記憶があります。
もう遠い記憶となってしまいましたが。

36週までなんとか!
というのが、医者も私自身にもありました。
が、29週(およそ1000g強)で切迫状態になってしまったので、あぁやっぱりダメなのか、という気持ちもありました。

で、その宣告を受けて、夫にそれを話した時、正直なところ私は、夫は私を労わってくれるのではないか、という期待がありました。こんな状況になってしまったのだから、さすがに夫もショックを受けて悲しんで、でも頑張ろうとかなんとかあるかな?と。

だって我が子のことだし、愛する妻のこと・・・のはずだから(笑)。

けれど、夫から返ってきた言葉は「なんとかなるでしょ。どっちも助かるんじゃない?」
というケロリとしたものでした。
私を励ますためとかそんなものではなくて、本当に素でけろっとしてるわけです。
(励ましてるつもりだったのかなぁ・・・。いやいやいや、伝わらない)
私の眉間に青筋がぴくっとしました。

私は夫のその反応にヒクついて意地を張って、「何かあったら子供の命を優先して私は死なせてくれて構わないから」、と伝えましたが、本当は夫から「お前を優先する」と言われたかったのです。

もちろん、赤ちゃん優先で構わないし当たり前なのですけど、まだ母親になる実感もないし、一応言葉上では夫から「お前優先」くらい言って欲しかったのですよね。
あの時の夫のケロリンとした顔、忘れられませんプンプン

そして、2ケ月の監禁生活の末(笑)。

何度かの早い陣痛を薬で抑制し続けて36週まで持ちこたえた我が子は、帝王切開になる可能性のため、医者の都合に合わせて出産日が決められ、バルーンを入れて、陣痛促進剤を入れて、もう手術室へ運ぶぞ、と言ってた矢先に唐突に出てきて、無事普通分娩での誕生となりました。

結果論としては夫が言うように「どっちも助かったし、なんとかなった」わけですが、2ケ月監禁となって、点滴につながれた私としては、そんな簡単なものではなかったんですけど、それを恨んでいる暇がないほど、産後の生活は多忙でした。


少し小さかった息子1は低体温で生まれ、体温の上昇が見られなかったことから、体をパンパン叩かれて号泣させられ、泣くことで体温を上げますと言われました。

新生児室で息子1を見たときは毛糸にくるまれて、帽子を被って寝かされていました。
この時ようやく、母子ともに元気で出産出来たことに安堵しました。

しかし、私の子宮は戻りが悪く、筋腫の悪影響を受けていたため、そのまま更に2ヶ月間関東に滞在するように指示されて、実家に多大な迷惑をかけてしまいました。
無我夢中の新生児子育て期間でしたね。
さすがに孫は可愛いのか、両親ともに赤ちゃんが生まれてからはやけに親切に孫の面倒を見ることを手伝ってくれました。
男児が欲しかった父はそれは喜んで、しょちゅう抱っこしていたと記憶しています。
当時は必死すぎて余裕がなったけれど、これは本当に両親に感謝しています。


そうやって2ケ月が経過する頃、夫が来て告げました。

「大阪から奈良へ転勤だから来るよね?」と。

初めての子供が生後2ヶ月、見知らぬ土地へいきなり引っ越し。
体調も決して良くない中で、私は・・・ただただ言われた通り奈良へと向かうことになったのでした。
そこから先に何があるかも知らずに。

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