前記事の続き。

何のために彼の側に居るのか?


一つには自分の生身の心を知る唯一の存在だという認識がある。

それをうつの希死感により失ってしまうかも知れぬ恐怖。


もう一つはやはり好奇心である気がする。

心の闇は時には非常に魅力を放つものだ。世の中の偽善性やうそくさい人間関係に疲れた時には、その闇へ自らを晒したくなる。


最後にはその人間性を愛していること。
そしてその事が何よりも重要であるべきだ。


だが愛を信じない人間を愛する事の意味とはなんだろうか。
彼の拠り所が虚無であるなら、私はその正反対である愛を拠り所とせねばならない。

だがそれはいくら注いでも闇に飲まれ続けるのだろうか。
もしかすると目に見えぬほんの少しのかけらが、いつか結晶になるだろうか。

…そんなことを、必死になって信じてはいるが、一方では信じてなどいない。
私の心には彼の心と近いものが既に同居しているのだ。
人間は一つの拠り所があれば穏やかに生きやすい。
だからそれが「虚無」であろうとも、それは人に取っては生きる上で大切なものなのだ。

だが拠り所への価値観は時には揺らぐ。
その時には一時的かも知れぬが、支えを失って心の平安が無くなる事もある。
例えばそれがより幸せへ向かうプロセスであろうとも。

その一時の不安が心を押し潰してしまい兼ねないのなら、それは避けねばならないのだろう。
一つの事実がある。

死にたいとおもうことはイコール不幸ではない。
自分を卑下することも、イコール苦しみではない。

そう思ったことのない私には理解しえぬ事実であるのかもしれない。
だがそれはどうも紛れもなく事実であるらしい。

こうした不条理を抱えてもなお
彼は毎日を生きている。
ときには…それは小さいかも知れぬが喜びも楽しみも感じるのだろう。
だが同時に早く死んでしまいたいという気持ちもそこにはまだずっと、横たわっている。
そしてそれに逆らうこともない。

彼はそういう生き方をしているのだ。
それが彼だ。


人間が、女性が信じられぬという彼に
かつて私はその壁を崩そうとした。
愚かであった。
それは彼自身を守るものでもあったのに。

だけど、今もなおずっと続けているこのことの意味。
半分は、彼自身から希少なその信頼を、勝ち得ることだと思っている。