久しぶりに…ここに書く気分になった。

なんだろう、だいぶ心のうちにあるものが変わってきた。

彼という存在がだいぶ近くなった。それは間違いない。
互いにいつでも、言いたい事をすっと言える間柄。
ここまでこぎつけるのに約一年…

けれどその先にはやっぱりなにも見えないね。

 貴方の心のうちにある死への羨望
 私のうちにある哀しみ

それはずっとずっと、消えないんだろうな。

それでもいくらか貴方は、心の扱いには慣れたように感じる。
それは希望が持てるというものでなく寧ろ…
すべてを諦めることで心に波風立てぬようにしているようだ。
それだけに、語る言葉は少なくなる。

苦悩がなければ、言葉も生まれないから。

同時に私の中にずっとあった、自分は貴方との関係になにを求めているのか?という問いすらも生まれなくなった。

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あたしが思わず言葉で傷つけて、
貴方がびっくりするくらい不信に陥り
憎悪にも似た言葉を投げつけてきた時には
もうすべてを壊してしまったとおもった。

…それでもなぜか、またつづいていた。
壊すほどのものなど、最初からなかったかのようだった。

そう、最初から「信じあう」なんて言葉は
あなたの中にはないのだ…
気軽に話せるだけで、
信じあってるわけではないのだよね。
だから裏切りもなければ、傷つくことも無い。

そんなこと、最初から分かっていたはずなんだだけどね。
また堕ちてく。
死への憧れへ。

つかみたくても私の手はとうてい届かないから……


 「そうか」と流してくれればお仕舞い

 ならば私の言葉も流しておいて?

ひとは言葉だけで心ちかくに寄れるものだろうか。
あたしは孤独を、苦悩を、軽くなどできないけど
同じものを少しでも見つめていたい。


貴方の吐き出す言葉を受け止めて流す。
できるときとそうでないときがある。

貴方が死へ向かうことへの
強い抗いの気持ち。

この思いだけは
私自身にも制御できないのだもの。


 だれもそばにいてほしくなんてない

そばにいるよなんて言わないけど
でも、そばにいる…居たい。
正直なところを言うと、
最近はここに言葉をはきだすという欲求が減ってきた。

そはそれだけ、自分は友人に対していつでも言いたいことが言えるようになってきたから。
寂しい気持ちも、悲しい気持ちも、好きな気持ちも、
どんなこともおだやかに、聞いてくれる人だとわかったから。

ときには冷め切ったそんな彼のなかにある女性不信を煽って、こっちの思うことをぶつけまくってみたりもする。


彼にあるあやうさ

「死への憧れ」
「全ての人と物に対する執着のなさ」

それが自然と受け入れられている。

共に生きるって言うことは
どういうことか
少し見え始めたのかもしれないな。

貴方が見ている、死。
私にもすこし見え始めた。
貴方がそこへ向かうことはとても辛いけれど
それを見つめている貴方だからこそ
私にはない何かを持っている。
そしてそれがとてもすきなんだな、と。