悪の存在理由と、人間が神聖な存在である理由 | 占星術師 Dee Nakagawaの使える占星術 

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どれを選択し、どう展開すれば道が開ける? それが分かるのが占い
鑑定で説明しきれない占い活用法、blogでご紹介します

占星術師のDee Nakagawa(ディー・ナカガワ)です。

 

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今の世界、日本は問題を起こされ過ぎており、今後このまま進むと生き残る難易度が今より上がってきそうです。

免疫低下、感染症、ワクチン薬害、シンギュラリティ、戦争、認知戦、ナノテク、世界統一政府、人口削減、環境問題、食糧問題。

今一般人をやってて、生きているだけでも大したものだと思います。

 

日本は太平洋戦争後70年以上、戦勝国アメリカの庇護を受けて豊かに暮らしてきました。

改めて考えると、敗戦国なのに不思議に思います。

戦後の日本は結局アメリカの庇護圏にあったことで安全に働けて成長できた側面があり経済的にも太れた。

昨今の自民党の海外への税金のばらまきやコロナ後のワクチンや法改正の動きを見ていると、アメリカとしては今まで太らせた分の恐らく収穫期的なステージに入ったように見えてしまう。

今後は円という資産は様々な理由で収穫され、更なる経営管理が始まるかもしれません。

 

 

今のメディアの情報やニュースを見ると、サブリミナルで埋め尽くされているように感じます。

私たちが人生で構築してきた価値観が急に今や通じないとか、時代が変わり価値がなくなったとか。

日々メディアを通してメッセージが送られ、送る側は潜在的に支配欲求を持ち暴力傾向も強そうです。

 

しかしいつまでもそういうネガティブな状況が続くとは限らず、状況を変えたいと考える人たちも存在し続けています。

例えばスピリチュアル系だとFree to Thriveなどは、既に知られ始めています。

 

 

 

 

人間が本来持っている優しさや美的感覚を無くしていない人たちにとって現在は、日々生活しているだけで気分を害したりエネルギーを奪われたりすることも少なくないのではないでしょうか?

 

今後は薬害や戦争でさらに人口削減が進むのではないかともと言われています。

 

 

今の世界の状況をこれまでの常識を元に客観的に見ようとする人たちには、現在社会の支配層はやる事がエグ過ぎ、悪魔的とまで形容されたりし始めました。

 

 

 

 

 

では悪魔の反対とは何でしょうか? 

神です。

 

神とは何でしょう?

神とは始まりも終わりも無い存在。

わたしたちを生み出した創造主ですので、私たちの尺度で神の始まり終わりは計れない。

私たちの存在を超えたものです。

 

私達はなぜ存在しているのか?

これは人間の持つ最大の疑問の一つです。

 

下記ブログで述べたような、

 

「われは在りて在るもの」

「気づきに気づいている状態」

とは自分の「意識」に気づいている状態です。

ではなぜ自分には意識があるのでしょうか?

自分の中にある意識はどこから来ているのでしょう?

 

気づきに気づいている状態になると、自分の意識は自分が存在させている訳ではないことが直接分かるはずです。

肉体は意識を通しますが、肉体が意識を作り出している訳ではありません。

 

瞑想状態に入ると、自分の中にある「意識」は自分の周囲にある「意識」と同じものだと分かります。

自分の意識が無いと自分にとってこの世が存在できないように、世界に意識が無いと世界も存在しないのです。

それは過去何千年単位で、世界中の古代宗教が言ってきた事でもあります。

 

ではなぜ自分の「意識」は存在しているのか?

それは私たちが自分と思っている自我と肉体以外の何かが、私たちの意識を存在させているからです。

私たちを直接的に存在させているもの、それを私たちは「神」と呼んできました。

私たちが持つ「意識」とは、神聖な「意識」の一部でもあるのです。

私たちは神聖な存在の一部 = 私たち自身も神聖な存在です。

 

人間には意識があり、神聖な価値がある。

 

グルジェフの著作「生は私が存在して初めて真実となる」では、この事にグルジェフが確信を持った時の体験が書かれています。

 

 

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訳中で、浅井雅志氏の翻訳は概念的な内容を理解できてないまま訳しているとしか思えず、肝心な部分を読んでも意味が分かりにくいと思います。

ですので下記は私が本blogに合わせ意訳しました。

 

~私はこれまであらゆることをやってみた。つまり自己想起、「私」を忘れないようにありとあらゆる修行、メソッドを身に付けた。しかし何一つ助けにならない。新たな方法を身に付けてもやがて慣れ、慣れると「私」を忘れてしまう。それに気が付くたびに落胆した。すべての努力は水の泡になってしまうのだ。

 

解決法が何一つない。

 

いや実は一つだけあった。それは私の外部に消える事の無い、マインド(自我)に同化していられなくさせる要因を作り出す事だ(意図的苦悩)。

 

私がどんな状態であっても自己想起をうながさないではいられない要因を作り出し、置いておくのである。

 

これは新しい考えだった。

 

たったこれだけのことを思いつくために、あれだけの苦しみと幻滅をなめたのだろうか?

 

いやこんな時こそ普遍的相似性に目を向けるべきだ。

 

すると全ての中に神が遍在しておられる、またしても!

 

彼のみがあまねく存在し、彼の意識がありとあらゆるものを結び付け存在させている。

 

人間としての私は、他の動物たちと比較するに、神によって神の似姿として作られている!

 

彼が神なら、似姿である私も彼の可能性と不可能性を私の内部に持っているはずだ。

 

彼と私はスケールの点で異なるという理解で間違いないはずだ~

 

この前半、特に

~私の外部に消える事の無い、マインド(自我)に同化していられなくさせられる要因を作り出す事だ(意図的苦悩)。私がどんな状態であっても自己想起をうながさないではいられない要因を作り出し、置いておくのである~

これが重要な考察です。

「私」を知ることはメディテーションによって時に可能にはなります。

しかし「私」を覚え続けていることは知ること以上に難しく、同時に最も重要な事なのです。

それがどれほど難しいか!

 

エソテリズム(秘教)には時に常軌を逸したような修業があります。

修業がマインド(自我)との極端な断絶に効果的だからです。

最も有名なものではイエスの荒野の40日間の断食など。

神との同一化を目指した高レベルな修行の一つと言えるでしょう。

 

「私」を忘れないでいるために逆に日常ではマインド(人格)にいられなくなる、忘れられないほど深い苦痛やトラウマでもないとやがて「私」を忘却してしまうと、私は思います。

グルジェフは普通の人ではなかったので「私」を忘れないでいられるようにする設定を、自分の中で最も力のある催眠暗示の能力を削減することと引き換えに作り出したのです。

 

ゴータマ・シッタールダですと贅沢三昧に暮らせる王国の王子であったため死や病気の概念が理解できておらず、城外に出た時に初めて死というものが存在することを知り大きなショックを受けました。

ゴータマの場合は死を知った衝撃が彼を自身の王国から出家させました。

正確には出家云々より、彼自身が自分のマインドにそれ以上安住できなくなったということです。

マインドと同化出来なくさせてしまう事はなんであれ、真実を知る助けになります。

 

私の経験を言いますと、私は「私」を知った後にあるショックな出来事で精神的苦痛が続きました。

マインドの中心である「気づきに気づいている」状態にいないと耐えられない状況に陥ったのです。

おかげでマインドの限界が分かりやすくなり、「私」を覚えている事の方を選ぼうとするようになったのです。

これ以降、苦痛も状況によっては祝福ではないかと考えることも増えました。

神あるいは存在は「私」を知った人間を見逃さないのでは? と考えさせられもしました。

この世界は本質が有機的なのです。

 

グルジェフは悪魔についてこう語っています。

 

 

 

全てが神聖に奉仕する本質的キリスト教グルジェフにとっては、悪魔も自己想起を喚起する存在に変えられます。

悪魔自身が望む純粋に邪悪な存在とは別の存在価値に変えられてしまうのです。

 

今世界に多大な死とストレスを持ち込んでいる勢力は何をしたいかというと、私たちと私たち自身の神聖さとの繋がりを無い事にしたいのではないかと思います。

もしも神(『私』)がいなければ、私たちの自我(エゴ)は他に従える誰か、何かを求め始めます。

彼らが私たちを自分達の主人として選ばせるためには、私たちの本当の主人である『私』の方は忘れてもらう必要がある。

今すでにわたしたちは本質的な神(『私』)を無くしてしまっているので、外的な影響によって簡単に病んだり絶望したりしがちです。

これは私たち自身に対する厄介な誤解です。

 

私たちはいくら忘れたつもりになっても、私たち自身の神聖さを無くすことは出来ません。

私たちが世界を見る視線の先ではなく、出発点に私たちの神はいます。

それは例えばラマナによれば「真我」と呼ばれたし、「私」の意識の中心でもあります。

その意識は世界の意識と同じものです。

これらはオープン・シークレット(公開されている秘密)と言われています。

神秘の全てはここにあり、さらに中心の奥の非存在に向けた始まりでもあります。

 

 

私の好きな言葉でOSHOラジニーシのものと記憶してますが、「あなたが1歩神に踏み出せば、神は100歩近づいてくれる」というものがあります。

どうすれば一歩踏み出せるでしょうか?

私たちの世界を存在させているのは、「私」の中心だと知る事です。

そうすることでわたしたちは、自分自身の更なる中心に戻って行くことになるでしょう。

そこは神聖な社ともいえる何かであり、神聖意識への入り口が実在します。

 

私たちが「私」の中心を常に忘れず覚え続けている事で「私」を獲得する事が初めて可能になり、生を超えた普遍的な「魂」を知ることが可能になる。

それをしないのであればグルジェフも断言していたのですが、人生は「塵から生まれたもの塵に返る」。

私たちの貴重なはずの人生は、制限時間が過ぎれば煙突から立ち上る煙のようにキレイさっぱり消えてなくなってしまうとグルジェフは主張しました。

 

同時にグルジェフは「注目すべき人々との出会い」P・ウスペンスキー著の中で、ロシア革命の動乱期にジャーナリストに対してこうも言っています。

「我々はいつも儲けています。だから我々には関係ありません。戦争であろうがなかろうが同じことです。我々はいつも儲けているのです」

 

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生きていて「私」を覚えているという事は「私」を結晶化し続ける事になります。

私を覚え続ける事で、意識を常時儲け続ける事が人間には可能です。

これをポーランド人の覚者アジズはステート・オブ・プレゼンスと呼びました。

 

小説家のP.K.ディックは「ヴァリス」の中でこう述べています。

~ いま の あなた たち は、 決して 病気 にも なら ず 失敗 も せ ず 死 にも し ない 伴侶 が いる。 永遠 なる もの と 結びつい て、 癒 や す 太陽 それ 自体 の よう に 輝く のよ~

 

 

 

 

この言葉はフィクションとは言えないと思います。

私たちも、病気にもならず死にもしない意識の源と結びつくことが可能。

それは内的な結婚で、永遠と結びつき意識と生きることが出来るのです。

私たちの人生はそうした可能性を手に出来るステージでもあるかと思います。

 

人間が神と近い存在であることは、覚者だけが唱えている訳ではありません。

今現在の世界でそのような可能性に気が付き始めている人達もいます。

 

『機密解除されたCIA文書はあなたが神であることを明らかにする』

 

 

せっかくの一度しか無いかもしれない(人によってはそうです)機会なのに、他人を支配したとか何とかの無駄な人生の使い方は意味ないのです。

 

そしてそのために悪魔も存在します。

 

キリストの仕事は十字架にかけられることで完成しました。

パゾリーニの傑作映画「奇跡の丘」にありますが、イエスは本当にひどい屈辱と苦痛(1:59:30~)をあえて受ける事でこれを成し遂げたのです。

私たち人類がもう少し正常であれば、ここまで彼を苦しめる事はなかったでしょう。

 

 

キリストを張り付けにして喜んでいる悪魔のような人たちは、当時の私たちのような社会の一般人達でした。

ですので映画を見ていて私たちの姿はキリスト側と思いたいところですが、むしろキリストが磔にされるのを面白そうに眺めている群衆の側の可能性もあります。

 

こういった映画を見ても、今も昔も社会の理不尽さは変わりません。

搾取され虐げられる人々は常時存在しています。

宗教的な聖者の史実で一貫しているのは、本物の聖者達が救おうとするのは社会から虐げられ苦しむ人たちに対してということが世界中で共通しています。

 

逆に成功したと思い込んだ人間はその本性を現し、傲慢さが露わになって行くことは少なくありません。

 

 

 

 

虐げられ苦しめられた人々にとって、悪い人たちの不快さ残酷さは身に染みています。

救いを求める気持ちも真摯なものだったりします。

キリスト曰く「貧しきものは幸いなり」。

私たちの救いを求める純粋なマインドが、神のためのスペースをもたらします。

 

悪と言われる存在の影響により、例えば私も今真面目に神聖について語れる状況があります。

私たちがネガティブな影響、催眠、マインドコントロールを受けなくなった時に、逆に悪にも存在意義が生まれるという訳です。

 

「私」を知ることに時間は関係ありません。

むしろ悪の協力があり私たちが追い込まれるなら、それによって私たちが本質的な悦びや尊さの根源である「神聖さ」に触れる機会を増やせる可能性が大きくなるかもしれない。

それには意味があると私は考えます。

「私」を知るという事は全てを差し置いても価値のある事です。

グルジェフはそもそも最後の著作のタイトルから、 “生は「私」が存在し初めて真実となる” と言い切っています。

 

 

 

私たちは「私」が何なのか知らず、いつまで経っても知ろうとする気すら起こせません。

私たちの目を覚まさせてくれるのは、今では悪魔達しか残っていないのかもしれません。

 

ただ悪魔と呼ばれる物質以下の次元の存在は、意識以上の次元には影響を及ぼしようがありません。

ですので私たちが本質的に傷つけられることは結局のところ不可能なのです。

 

Twin Peaks angel

 

 

近年の世界の流れに対して、絶望的な気持ちに陥っている人たちもいるかもしれません。

しかしながら私たちが本質的な「私」を知る事で、今後少しずつその必要はなくなるかもしれません。

 

上記のディックの言葉のように、こんな感じになったら良いですね。

 

~ これからの あなた たち は、 決して 病気 にも なら ず 失敗 も せ ず 死 にも し ない 伴侶 が いる。 永遠 なる もの と 結びつい て、 癒 や す 太陽 それ 自体 の よう に 輝く のよ~

 

人間にはそれが可能なのだと、古代から面々と続く聖者たちは伝えてきたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。