民俗学的に見る、天河大弁財天社 | 占星術師 Dee Nakagawaの使える占星術 

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天河大弁財天社に行きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
前に行ったのは10年前。
そろそろ行かなくてはと思っているとコロナが始まり、やっと再訪できました。
天河についても以前より知ることが出来たし、何より好きな場所なので書かせていただきたいと思います。
 
まず天川村自体が、都内に住んでいる自分には別世界。
 
 
 
 
 
下市口駅から車かバスで行く時に渡る川と、天川村の天の川は源流が違い熊野川が源流だそうです。
おそらく磁場も変わるし、水脈の流れは非常に多くの影響があります。
 
 
熊野、吉野、高野山などは解明されていない歴史がありすぎ、しかも信仰に根付いた文化歴史なので、素人にはとても手を付けられません。
プロでも大変というか、究めきれないのでは。

 

 

 

宿泊させていただきましたゲストハウスのご主人は、民俗学も研究されている方です。

ご主人からうかがえたお話は非常に興味深く、シェアしながら書いてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

根本的に天川一帯の信仰文化は修験行者達の動き流れで出来たところがあるし、今でも影響が濃いと思います。

 

 

 

 

 

 

修験行者達は熊野の山を知り尽くしていそうですが、その前に縄文人も入っていたという驚かされる話も聞けました。

理由というか証拠は出土品、縄文のものが出る訳です。

修験道は山岳信仰や神道と仏教の神仏習合から出来たと言われがちですが、それだけでは納得は出来かねますし。

「その前には何もなかった? 山の文化はどうやって派生した?」

と問われると、人間が侵入した以上何も無い訳ないです。

その前の情報も天川一帯、吉野熊野には残っていそうですし、まだまだ掘れば出てくる土地という気がします。

 

熊野の山頂山岳一体は様々な社が数百単位で点在し、それを修験行者は巡礼しますが、地図で見ると圧巻。

その山頂ルートからも様々な時代の出土品が出てくるそうです。

今回の宿のご主人から教えていただいた縄文人の痕跡。

「なぜ東北の縄文が?」と思いましたし同意する人もいるでしょうが、縄文人の移動範囲は我々の想像を超えてるのかもしれません。

修験行者の時代を超えますし、そもそも修験道は縄文文化の可能性も出てきます。

 

縄文があったとして、その後の修験道からは空海も生んでいますし、その空海が奈良から南に2日、西に1日で決めた高野山との事ですので当然天河も来られた。

 

 

熊野では南方熊楠も生んでいます。

日本を代表する天才二人です。

 

 

 

全てアミニズム、自然神信仰に基づいた信仰に基づく文化系列に連なります。

 

今の私たちが「完全に無くしてしまった、大事だったもの」、それはこのアミニズム、元々人間が持っている自然への信仰心ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

現代は下記のようなアルゴリズム主義者が力を持っている時代で、危険な時代です。

 

 

コンピューターが成立する時には意味があったと思いますが、彼らIT世代の唱える世界のイメージは今後の私達にとって本当に必要な価値観でしょうか?

ビル・ゲイツはパンデミックの先の展開が自分は分かると主張します。

理由はマスコミが言うには、彼は天才で昔から財団立ち上げて何やら研究していたとか。

しかし世界中の多くの天才的なウィルス学専門の学者達もコロナについて研究しています。

 

 

 

 

天河大弁財天社には奥の宮があるそうです。

登山か修験のような巡礼経験がないと大変そうです。

他の修験道の社との繋がりにあるので、天河大弁財天社と同じエネルギーかどうかは定かではないと思います。

標高1800mの高地で遠いですが、ご主人によりますと天の川の傍の天河大弁財天社と密にコミットしていたのではないかとのことで、私が宿泊させていただいた日裏の宿からは御来光的に見せていただけました。

幻想的です。

 

 

 

私が天河神社に行き始めたのは、学生時代に読んだ細野晴臣氏と中沢新一氏の「観光」の影響。

 

 

この時点の天河神社は、どちらかというとマイナーなパワースポットだったようで、外観も今とは違ったそうです。

宮司の方の尽力があり、今のような芸術芸能の神様としてのイメージは強くなった。

ですので今現在のイメージは大体近年30年くらいで出来たとの事。

 

面白いのは、こちらの神社は本当にパワースポットというだけのエネルギー、磁場があり、さらに興味深いのは周辺に点在する神社、社と比べてもエネルギーの感覚が桁違い、芸術芸能といえるエネルギーの質があることで、個人的にはそれが好きなのです。

磁場だけならエネルギーは他の社と似た感じになるはずですが、私が行けた他の社の一か所を除いて、修験道的な強さのエネルギーでした。

一か所は天河大弁財天社と共通していました。

 

 

 

ならば今の天河神社のエネルギーは何時からでなぜ? と思いますが、それは私が行き始めた時は既にこうだったし原因も分からないのです。

そういったところも面白い。

 

 

芸術芸能的なエネルギーの質は、おそらく古来からそれほど変わりないかとも思います。

こちらに初期に来た著名芸能者が、室町時代の能の実力者とのことで、不遇だったようです。

 

 

彼は天河大弁財天社に能面を奉納してますし、天河や伊勢との絡みのせいで朝廷に結局殺されています。

 

「弱法師」ですよ。

 

 

 

 


非常に感覚的に鋭くないと出来ない作品ですし、ここのエネルギーが分かって来たのではないかとの事。

個人的にはこういう歴史も好きです。

 

こちらの天河神社にどのようなエネルギーがあり、エネルギーはどう見えてどう感じるのか?

それは神秘主義的テーマになってくるのですが、それは次に書こうと思います。

 

民族学的に消化しようと思っても深すぎて無理な、歴史の宝庫なのが天川であり吉野であり熊野です。

歴史は関西が深い。

 

 

 

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