打たねば鳴らぬ/South City Midnight Lady"Doobie brothers | でこのブログ

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☆うたねばならぬ
※解説
打たない鐘は鳴らない意から、実行しないことには結果は得られないこと。


☆今日は何の日?!

❋沖縄慰霊の日

慰霊(いれい)の日は、1945(昭和20)年6月23日に日本軍の組織的戦闘が終結した節目として琉球政府や沖縄県が定めた記念日。日付は6月23日で、沖縄県の自治体が定めた記念日のため、県庁や各市町村役場、公立の小・中学校、高校などは「公休日」になる。毎年、慰霊の日には糸満市摩文仁の平和祈念公園にて沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、平和の礎へたくさんの遺族が訪れ礼拝している。


❋オリンピックデー

1894年(明治27年)のこの日、フランスの首都パリで開催された国際会議において、国際オリンピック委員会(International Olympic Committee:IOC)が創立された。

記念日の英語名としては「Olympic Day」や「International Olympic Day」の表記を確認できる。
「近代オリンピックの父」と呼ばれるフランスのクーベルタン男爵(baron de Coubertin、1863~1937年)の提唱によりオリンピック復興に関する国際会議が開催され、1896年(明治29年)にギリシャの首都アテネで第1回オリンピック大会を開催することが決議された。

第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)、第42次IOC総会において、同日が「オリンピックデー」に定められた。この日は各国の国内オリンピック委員会(National Olympic Committee:NOC)により、オリンピックムーブメント(Olympic Movement)の一環として、記念イベントが実施される。

オリンピックムーブメントとは、「スポーツを通じて相互理解と友好の精神を養い、平和でより良い世界の建設に貢献する」というオリンピズム(Olympism)の普及と、さらなる理解を得るための活動である。

以上です🙇

沖縄での戦いの悲惨さは、よくとりあげられていますよね。

私達にできることと言ったら、沖縄戦での悲劇を忘れず、同じ過ちを繰り返さないようにする事、戦争の教訓、平和の大切さを次世代に伝えていかなければならない、といったところ。

『戦争』


無くなるといいですよね。


僕が学生時代にバイトしていた原宿のジーンズショップの社長、BOSSですが。

前に書いたように、お店の外見はすんごく雰囲気があり、その昔、日立サウンドブレイクという5分程度のTV音楽番組のバックの映像に使われていたほど。

この人の素性を僕が書いていいのか、いけないのか、こういう時にリアルとネットの中でのことなのかなんなのか、わからなくなるのですが😅
言えば、僕の身近に居る人間のリアル・アメリカン・ドリームを達成した人なんですよね。

高3の野球終わってから、兄に連れられて横山くんの居た原宿チョッパーに行くようになったのですが、それと同時に、というよりBOSSのお店によく遊びに行ってたんです。

BOSSは店に二人でいる時に、色々と話をしてくれたのですが、その中にマリファナ、大麻の話もありました。

なことで、少しそこらへん調べました🙇


ベトナム戦争とマリファナ


※ベトナム戦争以前のマリファナ使用

・1930年代から1940年代
アメリカでは既にマリファナの使用が存在しており、特にジャズミュージシャンやアーティストの間で使用されてたそう。
しかし、1937年の「マリファナ税法」により厳しい規制が敷かれた。

※ベトナム戦争中のマリファナ使用

・1960年代から1970年代前半
ベトナム戦争のピーク時には、アメリカ兵士の間でマリファナの使用が急増と。
これはストレスや不安の緩和、または暇つぶしとして利用されたため。

※ベトナム戦争後のマリファナ使用

・1970年代後半から1980年代
ベトナム戦争から帰還した兵士たちがマリファナの使用を続けたことで、アメリカ国内でもそれが続き、ヒッピー文化やカウンターカルチャーの影響もあり、若者の間でマリファナ使用が広がった、ということです。

こうしたマリファナ使用の流れが、アメリカにあったようですが、もう少しベトナム戦争との関係性について、みてみました。

①ストレスと不安の軽減
 ベトナム戦争中、兵士たちは極度のストレスと不安にさらされました。マリファナは、そのストレスや不安を一時的に軽減する手段として使用される。

②薬物の入手のしやすさ 
ベトナムでは、マリファナや他の薬物が比較的容易に入手できました。地元の住民や他の兵士を通じて、マリファナを手に入れることができたため、その使用が広がった。

③兵士間での普及 
アメリカ兵の間でのマリファナ使用は比較的一般的であり、特に後半の戦争期間中に広がりました。これは兵士間の文化的な影響や、戦闘による心理的な負担の軽減を目的としたものであった。

④政策と規制の変化
ベトナム戦争中の兵士によるマリファナ使用の増加は、帰国後のアメリカにおける薬物政策にも影響を与え、帰還兵士がマリファナを使用し続けることで、国内での薬物使用に対する認識や規制が変化し始めた。

⑤メディアと文化の影響
戦争中のマリファナ使用はメディアにも取り上げられ、その影響は戦後のアメリカの若者文化にも波及し、ヒッピー文化や反戦運動の中でのマリファナ使用が増加し、社会的な認識にも影響を与えた。

これらの要因が組み合わさり、ベトナム戦争とマリファナの関係性が形成されていったようです。


BOSSから聞いた話と同じでした。


その後、マリファナについての取り扱いは何度も議論されてきたアメリカなのですが、このようなことが、2024年5月2日のBBCニュースに取り上げられていました↓

アメリカの麻薬取締局(DEA)が大麻の規制を緩和する方針であることが、このほど明らかになった。
大麻は現在、連邦レベルでは、ヘロインや合成麻薬LSDと同じ「スケジュール1」に分類されている。
DEAはこれを、依存の可能性がより低いとされる「スケジュール3」に変更する方針だ。
実行されれば、アメリカの麻薬政策としては、過去50年以上で最大の転換となる。

米司法省は、4月30日にホワイトハウスの行政管理予算局(OMB)に対し、分類の変更を提案したことを、声明で認めた。
この提案が連邦官報に掲載されると、パブリックコメントの募集が開始される。その後、行政審判官の審査を経て、正式に変更が公表される。
大麻は連邦レベルでは違法だが、50州のうち34州が医療目的での利用を、24州が娯楽目的での利用を合法化している。
今回の発表を受け、アメリカの大麻産業企業の株価は15~67%急騰した。カナダの同種の企業も大幅な上昇を見せた。


❋スケジュール1とスケジュール3の違い

アメリカでは1971年以来、大麻は規制物質法のスケジュール1に分類されている。連邦政府の視点では、「医療用途での利用は認められず、乱用の可能性が高い」とされている。

一方のスケジュール3は、DEAの定義によると、「身体的・心理的乱用の可能性が中程度から低程度」の薬物が対象となっている。麻酔薬のケタミン、咳止めや鎮痛に用いられるコデイン、たんぱく質同化作用を持つステロイドなどがこれに含まれる。

ただ、スケジュール3の薬物も規制の対象となっている。無許可の取引は、罰則は軽くなったものの、連邦刑事訴追の対象となる可能性がある。


です🙇


アメリカという国。
昔から1歩も2歩も進んでいるように思います。

オヤジが生前、第二次大戦のアメリカに対して「勝てるわけないんだよ、全てのものでアメリカが上回っているのだから」と開戦前に感じていたそうですが、そんな考えの一般人は多く居たんじゃないかな、と思ってるんですよね。


BOSSと音楽の話で思い出した曲があって。

例えば、よく聴く好きなCKB。
よく聴きますけど、そればかりだと飽きますよね?

ね?
飽きない?😅

じゃ、飽きるワタシが浮気性?😅
いやでも戻るんですよ、最後にはCKBに。

これは浮気性になるわけ?🤷

は、置いといて🫷

BOSSのお店でバイトしていた時に音楽を流していたんですね、BOSSがカセットテープの。

ウイリー・ネルソンと言うカントリーシンガーのon the road againという曲。
これが何度もかかり、今でも頭にメロディーが流れてきます😅


※カントリーという音楽ジャンル。 
故郷や恋人を想った歌が多いのが特徴で、ときには社会風刺や犯罪をテーマにした過激なことも歌う、となっていますが、BOSSは片道の航空チケットしか持たず単身アメリカに渡り、今で言う不法移民ですが、なんとか中に潜り込み、皿洗い等をしながら、色々と次のことを考えて生活していたんだよな、と、このカントリーの曲から想像しました。



からの、ドゥービー👍👍👍


❋ドゥービー・ブラザーズ

ドゥービーとはカリフォルニア周辺のスラングでマリファナのことを指すが、練習をしていた彼らのうちの一人が「まるで俺たち、ドゥービー・ブラザーズみたいだな…」と、ふと口にした一言からとられたのだった。 北カリフォルニアのヘルス・エンジェルスのバーで演奏を行っていたドゥービー・ブラザーズは、やがてワーナー・ブラザーズと契約。

なんですよね。


 


『South City Midnight Lady』
 


Up all night I could not sleep
The whiskey that I drank was cheap
With shakin' hands I went
and I lit up my last cigarette
一晩じゅう 眠れなかったんだ
俺が飲む酒は安物のウイスキー
仲間と握手した帰り道
俺は最後の煙草に火を点ける

Well the sun came, the night had fled
And sleepy eyed I reached my bed
I saw you sleepy dreamin'
there all covered and warm
ああ太陽が顔を出し夜は逃げてった
眠い目の俺はやっとベッドに就くのさ
おまえはぐっすり夢見てる
毛布に包まれ あったかく

South City midnight lady
I'm much obliged indeed
You sure have saved this man
whose soul was in need
南部の街のミッドナイトレディー
ほんとに感謝しているよ
おまえが救ってくれたんだ
魂の救いを求めてた この俺を

I thought there was no reason
For all these things I do
But the smile that I sent out
returned with you
俺のすることはどれもこれも
何の意味も持たないけれど
おまえと一緒なら
俺は笑顔で帰れるんだ

When day has left the night behind
And shadows roll across my mind
I sometimes find myself alone
out walkin' the streets
夜が過ぎ去り陽がのぼると
影が俺の心を覆いつくしてしまう
ときどきふっと気が付くと
通りをひとりで歩いてる俺

Yes,
and when I'm feelin' down and blue
Then all I do is think of you
And all my foolish problems
seem to fade away
そう
気分がふさいで憂うつなとき
俺はおまえのことだけ考える
すると俺の馬鹿げた悩みなんて
消え失せていくみたいなんだ

South City midnight lady
I'm much obliged indeed
You sure have saved this man
whose soul was in need
南部の街のミッドナイトレディー
ほんとに感謝しているよ
おまえが救ってくれたんだ
魂の救いを求めてた この俺を

I thought there was no reason
For all these things I do
But the smile that I sent out
returned with you
俺のすることはどれもこれも
何の意味も持たないけれど
おまえと一緒なら
俺は笑顔で帰れるんだ


(Words and Idioms)
fled=逃げた(→fleeの過去形・過去分詞)
much obliged=とても感謝しています
send out=放つ、送り出す
return with=~を持って家に帰る

日本語訳 by 音時