タイトル老人と海^^;/下町に生まれて"ジェームス藤木" | でこのブログ

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東京スカイツリーの完成が

2012年5月22日

もうすぐ12周年を迎えることになりますね。



建設前から『あそこらへん』に東京タワーを凌ぐ高さのタワーが建設されるという噂が地元でも広まりましたが、「どこにそんな高いものが出来るの?」といった声が大半を占めていました。


「東武の資材置き場、元の貨物駅のところだな」

と、茶の間でオヤジと話していた、その時の顔が目に浮かびます。


オヤジの命日まであと数日。

ビッグ・ダディ😅はたぶん…


今もまだ夜な夜な出歩いているかも😱 😅



スカイツリーから歩いて3分


の場所に住む高校の1つ上の先輩が、スカイツリーの建設の始まりから写真を撮っていました。

先輩は建設現場の進捗を写真に収めることで、その歩みを記録してきましたが、僕の会社(実家)からもその高い建物が見えるので、その高さの変化を間近で感じることはできました。


今、ドラマの撮影でもスカイツリー、押上あたりがよく使われますが、ほぼ毎日浅草橋のアクセサリー関連のお店等に行っていた時に、前に触れたキャプテン・サンタの店から押上を抜けて行くので、あそこら辺の風景を見るたびに懐かしく感じてしまいます。


東京は、例えば渋谷。

年がら年中、工事をしていて、2027年だったか、やっと完成するような話で。

でも出来上がった頃に、また違うところを建て替えるような気もしますが。


何かサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの終わらない塗装作業のような?



坂本龍一さんが生前、神宮外苑再開発の見直しを求める手紙を小池百合子知事他、何人かの方に送ったのですが、あのまま残してもらいたいと思う気持ちは僕にもありますね。



僕等の学生時代の時と比べてみても、かなり東京の街並み、風景は変化しましたが「台場」もえらく変わりました。


18,9の免許取り立ての頃に、湾岸道路の方に仲間達と車でよく行ったのですが、湾岸道路を横切り海の方に向かって行くと、晴海埠頭にフェリー埠頭等の舗装された広い土地があり、夜になると人も来ないような場所だったので、怖いもの見たさ?探検するような感覚で立ち寄ったもので。


そこでギア付きの車に乗っていた友人達はスピンターンの練習をするという😅遊び場みたいなところだったんですよね。


大井ふ頭は😎系の大集団が集まる場所だったのですが、そこに参加していたのが装蹄師の😎友人😅


彼との付き合いは「不適切にもほどがある」に出てくる昭和の不良少女のような地元の女友達2人が、新宿のディスコでナンパされて付き合ったことが始まり。


女友達とは今も付き合いがあるので、神戸に来る前にも会っていますが、この彼女に会いに😎友人は地元向島に来ていました。


そこで彼を紹介してもらったのが、僕と😎の付き合いの始まり(ここで「僕」という表現よりも本来は「俺」なんですけど、あえて「僕」で😅)


その当時は僕もロックンローラーだったし、周りもイカレポンチな格好で🤭、😎の外見からもそんな「におい」はするし、すぐに打ち解けた感じ。


誰も好きこのんで👊なことにはなりたくないので、事情が分かれば急接近するというような。


バイトで右翼の街宣車に乗って「あの手の活動」をしていた写真も後に見ることになりましたが、仲間内には「無口な強面の顔」ではなく、どちらかと言うとおしゃべりなひょうきんな男😅で、真面目。

ナンパはしたけど軟派じゃない。

ちょっと伝え方は難しいですが😅


😎友人と会った頃には、彼女とはあまりうまくいってなかったようで、しばらくして別れてしまい、僕等とは直接関係もなくなりましたが、そこからの付き合いの方が密になったような。


彼は品川の方の住人ですが、やっぱり下町とは違って、お洒落な部分があるんですよね、向こうの人間は。


車にしても遊びにしても服装にしても、ちょっと下町の人間と違ってお洒落😅


兄と同期の代々続く😎系リアルシロガネーゼの先輩も、どこか違う。


カッコイイんだわ😅


今は閉店しましたが、白金にダンステリアという全盛期のディスコのようなお店があって、そこには、😎友人もこの先輩も通っていた話を聞いていましたが、なーんかお洒落👍



昔の話は多々しますが😅

僕が高校卒業したのが1980年の3月。もう40年も前の話。


僕が中1の時には、既に東京でも暴走族は多く存在し、週末になると話した大井ふ頭等で集会が開かれて、時には大乱闘という新聞の見出し記事にも載るほど、暴走族がひとつの社会現象のような側面もあったと思いますが。


あ、お洒落と言えば、暴走族のネーミングも下町とは違う😅


向こうは横文字👍

こっちは漢字👎😒😅


向こうは楽しそう✨

こっちは…


苦しそう😆


なめ猫の写真集は知られていますが、暴走族の写真集も書店に置いてあったほどなので、その存在が一般的な関心を集めていたということはあったかと。


僕の高校の😎仲間からして何人か載ってましたし😅


地元仲間には漢字グループの😎もいましたし😅


ブームと言えるかもしれないです。


ただ、ブームというものは飽きられるし、また何か違うものに関心が向きますよね。


僕のかつての実家(今の実家ではなく)の隣に兄より2,3個上のお兄さんがいたのですが、やっぱり高校時代は😎で😅 


あの時代、それしかおらん!(笑)


そのお兄さん、いつしか😎からサーファー🏄へと、サーフィンに興じるようになり、車もワーゲンのビートルに乗り換えるという徹底ぶり。


僕の地元の😎先輩も、昨日までコーハー系の髪型だった人が次の日には髪を下ろして(当時の)サーファーカットになっちゃうわけで😳 😅


裏切り者!

一生不良を貫くんじゃなかったんかい!


というような感じ😅


そんな流れは一気に加速して街中は右も左もサーファー🏄ばかり。


といっても、当初実際にサーフィンをやっていたのは少数の人間だったと思われます。


ほとんどが陸サーファー、オカサー。

そんな若者がウヨウヨいて、なりきりボーイズに至ってはMAZDAファミリアに乗りキャリアにボード積んで街なかを走り、髪の毛は潮焼け風に少し茶色味つければそれで

🆗🙆‍♀\(^o^)/


モテモテ😅


その流れは女の子にもあり、JJだとかのニュートラ、ハマトラ、サーファーファッションの特集を参考に、特にFineはファッションから波関係の情報とサーファーのバイブル的な雑誌で、その雑誌を抱えてエンジェルフライトのパンツ履いてマジアのロゴマークが付いたポロシャツ等を着た格好してれば

🆗🙆‍♀\(^o^)/みたいな😅


羽織るジャンバーは、リップカール👍


街に溢れていましたよね。

これは原宿でバイトしていた時にも多く見掛けました。


そんな特集記事では


横浜VS神戸


こんな特集記事を組めば

🆗🙆‍♀\(^o^)/と😅


この頃からずーっと、横浜、神戸はお洒落な街だったんですよね✨


あ、賀来千香子さんより


黒田知永子派


😅


老人と海…



タイトル間違ったかな😅


少し時間があったので書きました。

続きは、また時間ある時に🙇



ジェームスさんは築地の漢字グループだったような😅