年賀状 | でこのブログ

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やり取りしてますか?


ここ何年か前から、今回で失礼しようかどうしようかと思いつつ結局例年通り出したのですが、2,3年前から年賀状じまいをする人間もチラホラと出始めて。


やり取りする人も大体決まっていますが、年上の方も何人かいるので、そういう方々に対して先に「今年で失礼します🙇」とはなかなか言えなくて。


で、結局ズルズルと。


私、これ読んでいる方にどう思われているかわかりませんが、めちゃくちゃ口下手な男で、人前で話すとかは超苦手。

仲間内ではそんなことはなく、むしろうるさい方かもで。


そんな男なのに結婚式の友人代表を3人。

それに司会も1度経験ありで。


口下手なのに😓 



コメントを最近ちょこちょこ入れたりしますが、それは後者のうるさい方の自分。


気に障るようなことも口走ってることと思いますが、本当にすみません。

悪気はこれっぽっちもありませんのでm(_ _)m


お調子者は間違いない。


学生時代、新宿でコンパがあった時に、よじ登るにはちょうどいい街路樹が店を出てきた所にあり、何故かそういう時には必ず指名される、登るよね?行くよね?みたいな。


これ、女子ーズに言われちゃうとかなりマズい。


登って飛び降りて骨折したのは実話。


😓


友人代表は小中、高、大とそれぞれの時の友人3人なのですが、この中の高校時の野球部同期の人間に自分自身は友人代表をお願いしました。

理由としては初めての女房との出会いの時も一緒にいたし、自分達をよく知る人物なので。


女房の実家に初めて行った時も彼と一緒。


彼とは野球部現役時代より終わってからの方がよく遊ぶようになったわけですが、神楽坂の焼き鳥屋の次期社長の友人と学生時代一緒にバイトしていたので、終わる頃に迎えに行ってはそれから遊んだ、といった話は以前も書いたかと。


学生時代によく遊んだ仲間の中でも年末大晦日から新年明けてからの数日間を一緒に過ごしたのは彼だけ。

お母さんが作ってくれた自慢の紅白ナマスを、もう結構です🙌という程戴いたこともありました。


彼の元々の家業は婦人物ニット製造業。

板橋の方にウチと同じように自宅兼工場があり、そんな家庭の長男。


父親は同じ大学出で先輩にあたる。

今年92歳になりますが、元気で居るという話。


彼のところもウチと似たりよったりの年齢の女2男1の子供がいて、上2人は幼稚舎から私立に。

同級生には加藤茶、加トちゃんの子供がいたと。


ゆくゆくは会社を継ぐ予定で、10年間は他人の飯を食うということで、就職先は当時京都に居た彼女を追って大阪のアパレル会社に就職し、3年後東京支社に戻り、そこで出会った女性と結婚した後、父親の経営する会社に入った。


彼は熱狂的ではないにしても巨人ファン。 


野球部でもあるし、1度阪神戦を観に行こうと甲子園球場に会社の連中と連れ立って行ったらしく。

国立競技場の🏉早明戦で、どっちつかずの応援をした張本人は彼で、そんな調子で球場に入ったはよかったけれど、巨人のキョの字を口にしようものならかなりマズいことになりそうだと、本来の力を発揮して阪神ファンに早変わりしたのはいかにも奴らしい。


順風満帆とも言える人生を送っていたのですが、ある時会社の取引で不渡手形を掴まされてしまい会社は倒産、その家屋も土地も売り払うことになった。

オヤジさんはとても気の良い人で、人に騙されたようなことを友人から聞いている。


会社倒産した時は、まだ子供達は小学生で姉妹2人は公立の学校に移らざるを得ない状況となり、学年が上がる時と同時に編入した。


しかし、中学生になってしばらくして、上の子は登校拒否で学校に通えなくなり、すぐ転校したもののその次の学校もダメで、結局通信教育で中学時代を過ごした。


その後、離婚も経験した。


全ての事を払拭するために、以前から会社の方で付き合いのあった取引先の社長から誘われ中途入社し、北海道の地で新たなスタートを切ることとなった。


すごいバイタリティのある男で、雇われ社長ながらもその後独立して会社を興した。


ただ、仕事のスタートを切った翌日に北海道で緊急事態宣言が発表され、初っ端から最悪の日になったと。


結局あまり上手くいってなかったようで、バイトを始めたという話は引っ越し後に聞いていた。


その彼に年賀状を出したところ、昨日まで音沙汰なくアレ???と。


🤔


昨日のことなのですが、12月中旬に女房がひいた風邪をもらってしまい、年が明けてからも咳が止まらず、肺はプロフィールに書いてある通りの事なので少し心配になり、神大病院に先週急遽予約を取りCTを含む検査をしてきた。


結果、とりあえず大丈夫でしょうとのことで、ホッとしたのですが。


そんなこんなバタバタで帰ってからポストをのぞいたら、北海道の友人から遅い年賀状が届いていた。

また何か始めるようで。


先は見えないですけど、今度は上手くいくといいなと、今はそれだけを願うばかり。



60年以上生きていると色々なことがある。

いいこともあれば、そうでないことも。

皆さんも色々あったはず。  

頑張っていきましょうよ👍




そんな中、去年、初めてブロ友さんとお会いした。


それは「とても良い事」として家族にもその話をしたところ


👍👍👍いいね👍と。


せーじさん。

私、肺ガンブログの時からこの方のブログは読んでいました。
ただ、自分がプロフもブログも真っ白なのにイタズラに絡んじゃいけないと読むだけにしていましたし、肺ガンブログから得た真の情報には助けられたりもしました。

せーじさんがアップしたブログ通り↑
なにか似通う点も多々あり、そんな親近感にも似た感情から今回の出会いに繋がったのかなと思うのですが。

ま、私とはかなり違うハイソな大学出の思慮深い方で、でもそれを感じさせないところがまたこの方のいいところで。


出来る人なんですよね


間違いない👍


しかし、こんな出会いもあるんですね。


また機会があれば、宜しくお願いします!
有難う御座いましたm(_ _)m