父と家族の末期がん闘病記 -26ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


週末、車の運転練習がてら、高速を使って臼杵まで行ってきました車


臼杵には国宝に指定される石仏があり、かねてから一度見に行きたいと思っていたのです。



石仏はのどかな田園風景の中に点在。

丘陵の岩に直接彫り込まれているだけに、ちょっとしたハイキングになります。
足腰が健康じゃないと、結構辛いかも。。。


父と家族の末期がん闘病記


平安時代後期~鎌倉時代に彫られたという石仏の数々は、見ただけで思わず手を合わせたくなる荘厳さ。
一生に一見の価値がありました。


父と家族の末期がん闘病記


石仏が全部で600体ほどある中で、一番の見どころとなるのが「 大日如来坐像 」。

日本の石仏の中でも最高傑作の一つとされる大日如来様は、曼荼羅の中でも全ての仏様の中央に鎮座される宇宙の中心の神様。
この穏やかな表情の神様は参拝する人のお願い事を1つだけ叶えてくれるとのこと。


父と家族の末期がん闘病記


もちろん、お願いするのは父のこと。

神様があたたかく、私たち家族のことを見守り続けてくれますようにひらめき電球



父と電話で臼杵石仏に行った話をしたら、父も昔行ったことがあるそうで。

詳しい記憶はもう忘れてしまったというので、体力と相談して、また父を連れて来てあげたいなぁ。


同じ末期がんを患う父を持つ娘として、ブログを通じて交流させていただいているブロ友さん。

彼女のお父様が先日、永眠されました。
私の父と同じ、66歳でした。


痛みを和らげる麻薬のおかげで、とても安らかな最期を家族全員で看取ることが出来たとのこと。
命の終わりとともに末期がんの苦しみ・痛みから解放されたことで、悲しみだけでなく、安堵の気持も彼女の胸に訪れたことは、これから同じ状況を覚悟しなければならない私にとって一抹の光に思えました。



肉体を蝕む癌細胞も、命の終わりと共に死ぬ。


だけど、命の終わりは魂の終わりじゃない。


その瞬間、父の魂は病に蝕まれた肉体から解放され自由になって、家族の心に寄り添い続けてくれるんだ。



・・・そう考えたら、不謹慎かも知れないけど、父に迫る命の期限は必ずしも悲しいことだけじゃないんだと思えてきました。

だって、父が最強の守護神になってくれるってことだもん。




そしてもう一つ、気付いたことがあります。


なぜか今の私の中に、満ち足りた気持ちがあるのです。



父の病を知って、沢山泣いて悲嘆にくれているというのに、どうやら私の心の中はパンドラの箱になっていて、最後に残っていたのはシアワセな気持ちでした。



父は、

  「 お前がそんなんだから、心配で心配で、きっと死んでも死にきれないよ。 」

とか、

  「 お前の孫が見たかったなー。孫を抱きたかった。 」

って言うし、そう言わせてしまう私は親不孝の娘に違いないのに。


私はそうやって心配してくれて、私に期待を掛けてくれることがすごく嬉しくて、幸せで。

だから、そんな父に少しでも恩返しがしたくて、泣いてばかりいられなくなる。



・・・となるとね、私の幸せを一番に願い、私に想われている父は、ぜったいに不幸じゃないってこと!




不謹慎だと思って言葉にするのを躊躇っていたけど、私が今感じていることをブロ友さんも同じように感じていることが分かって、すごく嬉しかったんだ。



そんな気持ちを書いたら、なんだかスッキリしたー。


ささ、今日からまた一週間、シアワセに暮らそう。