同じ末期がんを患う父を持つ娘として、ブログを通じて交流させていただいているブロ友さん。
彼女のお父様が先日、永眠されました。
私の父と同じ、66歳でした。
痛みを和らげる麻薬のおかげで、とても安らかな最期を家族全員で看取ることが出来たとのこと。
命の終わりとともに末期がんの苦しみ・痛みから解放されたことで、悲しみだけでなく、安堵の気持も彼女の胸に訪れたことは、これから同じ状況を覚悟しなければならない私にとって一抹の光に思えました。
肉体を蝕む癌細胞も、命の終わりと共に死ぬ。
だけど、命の終わりは魂の終わりじゃない。
その瞬間、父の魂は病に蝕まれた肉体から解放され自由になって、家族の心に寄り添い続けてくれるんだ。
・・・そう考えたら、不謹慎かも知れないけど、父に迫る命の期限は必ずしも悲しいことだけじゃないんだと思えてきました。
だって、父が最強の守護神になってくれるってことだもん。
そしてもう一つ、気付いたことがあります。
なぜか今の私の中に、満ち足りた気持ちがあるのです。
父の病を知って、沢山泣いて悲嘆にくれているというのに、どうやら私の心の中はパンドラの箱になっていて、最後に残っていたのはシアワセな気持ちでした。
父は、
「 お前がそんなんだから、心配で心配で、きっと死んでも死にきれないよ。 」
とか、
「 お前の孫が見たかったなー。孫を抱きたかった。 」
って言うし、そう言わせてしまう私は親不孝の娘に違いないのに。
私はそうやって心配してくれて、私に期待を掛けてくれることがすごく嬉しくて、幸せで。
だから、そんな父に少しでも恩返しがしたくて、泣いてばかりいられなくなる。
・・・となるとね、私の幸せを一番に願い、私に想われている父は、ぜったいに不幸じゃないってこと!
不謹慎だと思って言葉にするのを躊躇っていたけど、私が今感じていることをブロ友さんも同じように感じていることが分かって、すごく嬉しかったんだ。
そんな気持ちを書いたら、なんだかスッキリしたー。
ささ、今日からまた一週間、シアワセに暮らそう。