父と家族の末期がん闘病記 -25ページ目

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


新年明けましておめでとうございます。


年末年始はダンナさんの実家で過ごしていたり、年明け早々に受ける試験勉強に専念していることもあり、ご無沙汰しておりました。


私は実家に帰って父とお正月を共に過ごすことは出来ませんでしたが、父は姉家族と賑やかに年末年始を過ごすことが出来ました。
今はただただ、父が2013年を迎えることが出来たことに感謝。


実家から離れた九州での初詣では一番に、父が余生を心穏やかに、悔いなく過ごせることをお願いしたことは言うまでもありません。
父から届いた毛筆書きの年賀状も、何度も何度も読み返し、父が生きていることへの幸せをかみしめています。


しかしながら・・・

母や姉の話しを聞くと、クリスマス以降、父の体調は日に日に悪くなっているそうです。
痛み止めの薬を飲んでいるので、耐え難い痛みは無いようですが、手足のしびれや全身の倦怠感がひどく、不眠状態が続いているとのこと。
服用している睡眠薬の効果も全くないそうです。

倦怠感を引きずりながら外出をし、疲れ果て、お風呂で更に体力を消耗し、お酒を飲んで酔っ払って床についても、2時間も寝られれば良い方なのだとか。

いつも2階の部屋で寝ていた父ですが、一人で階段を登り降りすることもままならない状況とのことで、今日からは1階に寝ることに。
がんによる全身倦怠感は、至るところの情報で「 身の置きようのない辛さ 」だと聞き知っていましたが、まさにそのような状態です。
元旦から何度かメールを送っていますが、まだ1度も返信はありません。
いつもはすぐに返信をしてくれる、律儀な父だったのに・・・

お風呂も一人で入るのが大変になり、母の介助が欠かせなくなってしまいました。
そんな父のことを案じてなりません。


遠く離れた地で暮らしている身としては、父の状態を詳しく知りたいという気持ちがあるものの、全く光の見えてこない報告を聞くたびに辛くなります。
母や姉には、介護用ベッドが必要になる日も近いだろうから、すぐにでも介護保険の申請に行くように勧め、次回の診察予約を待たずに病院に行くようアドバイスをしました。
頑固な父は、病院に行くことを拒否しているようですが・・・


1月11日からは私も実家に帰るのですが、それまでの1週間が途方もなく長く感じます。。。


私がダンナさんと仲良く過ごしていること、笑顔で毎日を過ごしていることが父にとって一番うれしいことに間違えないので、父から離れている寂しさを抱えながらも、涙を堪え、ダンナさんとの日々を大切に送るのみ。


ダンナさんは昨日と今日宅直ですが、今朝方入院患者さんの様子を見に病院に行っただけで穏やかな時間が流れています。
父にもこの穏やかな時間を分けてあげたらいいのにな。



ダンナさんは27日から冬休みに突入。
義実家には明日から帰るので、今日までの3日間自宅でのんびり過ごす中で、ダンナさんと今後のことを少し話をしてみました。


ダンナさんの転勤で、九州に住民票を移してから早5か月。

在任期間は基本2年間。
当初、ダンナさんは都内に戻った後に大学院進学し、博士号を取得したいと言っていました。

実家の神奈川に近くなるし、私はもちろん歓迎。


けど・・・
最近は、ダンナさんは大学院進学に対し消極的な感じに。

その理由は長くなるので割愛しますが、大学院進学せずに九州の民間病院に転職することを考えているとのことで、聞けば現状、後者を選択する可能性が50%なんだとか。

ダンナさんのことだから、口では50%って言ってるけど、私は90%なんだろうと思っています。。


そんなことを母に電話で話をしたら、案の定、母は" 心細い "と洩らしました。

ちょっとフクザツな話ですが、「 寂しい 」んじゃないんです。
だって、姉と二人の孫は都内に住んでいて、電車一本で会いに行ける距離なんだから。

だから、寂しいんじゃなくて、「 心細い 」んです。



前にブログで少し書いたけど、我が家は面倒な一族の問題をいろいろ抱えています。

父の病気が判明する前からその醜い争いが繰り広げられていたのですが、本来は家督の相続とともに長男が背負っていくであろうその問題。

今秋の実家滞在時、そうした問題の根本にある遺産相続に関する諸対応も、在宅看護やホスピス入居に関するソーシャルワーカーさんとのやり取りも、任されたのは私でした。

また、いずれやってくる父の葬儀で親戚と対峙することも想定し、喪主としての実質的な対応を私にやってもらいたいというのが母の願いでした。
単純に、私が法学部出身で法律系資格をいくつか持っており、営業経験も相まって対外交渉に慣れているというだけですが・・・


でも、私が近くにいないとなると、私が行うことはほぼ出来なくなります。
何かと騒ぎ立てる親戚は、法定相続人ではない母の存在は部外者として無視することは目に見えています。
そして、大人しい長女(姉)が相手なら自分たちの思うように言いくるめて、事を運びやすいと考えているのが見え見え。


だからこそ、母が「 心細い 」と言う気持ちは良く分かります。
父は今まで、そうした一族の醜い争いの部分を敢えて娘たちに見せようとはせず、父一人でなんとか解決しようとしてきました。
けど、その父がいなくなった瞬間にそのバリアが決壊し、法定相続人となる長女のもとに一気に押し寄せてくることを案じているのです。。。


私の人生がダンナさんの選択次第なのは不可抗力で、どうすることもできないもどかしさ。
(私自身、ダンナさんの将来はダンナさん自身に決めて欲しいと思っているし。)


生きることもまた大変なのだと、つくづく思うこの頃です。


今日はクリスマス。

父と母は姉家族と一緒に連休を過ごし、楽しいクリスマス・イヴを過ごせたようです。

母と電話で話をしたところ、タキソテールの副作用は強く出ているものの、食欲は無い(全く食べれない)というほどでもなく、その点では小康状態が続いているとのこと。
私が実家で過ごしていた11月上旬は、一日にご飯茶碗一杯分も食事を摂っていない日が続いていたので、その点では少し安心です。

そして今日は、体調は万全ではなかったものの、横浜で同級生の集まりに参加してきたのだとかひらめき電球
父にとって、良きクリスマス・イヴになったことでしょう。


行き帰りともにグリーン車での移動ですが、それでも一人で電車に乗って出掛けられる気力と体力があることに感謝。
寒い日が続く中、風邪を引かないか心配だけど、笑顔の時間が過ごせた分、免疫が上がってくれるといいなーアップ


クリスチャンでもなんでもない我が家ですが、今日ばかりは健康に毎日を過ごせるシアワセへの感謝と、愛に満ち溢れた世の中の平和をキリスト様に願わずにはいられませんでした。


・・・というわけで皆様、Merry Christmasクリスマスツリー

健康な体と穏やかな心で、クリスマスと残り少ない年の瀬をお過ごしください。