母の心配ごと。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。



ダンナさんは27日から冬休みに突入。
義実家には明日から帰るので、今日までの3日間自宅でのんびり過ごす中で、ダンナさんと今後のことを少し話をしてみました。


ダンナさんの転勤で、九州に住民票を移してから早5か月。

在任期間は基本2年間。
当初、ダンナさんは都内に戻った後に大学院進学し、博士号を取得したいと言っていました。

実家の神奈川に近くなるし、私はもちろん歓迎。


けど・・・
最近は、ダンナさんは大学院進学に対し消極的な感じに。

その理由は長くなるので割愛しますが、大学院進学せずに九州の民間病院に転職することを考えているとのことで、聞けば現状、後者を選択する可能性が50%なんだとか。

ダンナさんのことだから、口では50%って言ってるけど、私は90%なんだろうと思っています。。


そんなことを母に電話で話をしたら、案の定、母は" 心細い "と洩らしました。

ちょっとフクザツな話ですが、「 寂しい 」んじゃないんです。
だって、姉と二人の孫は都内に住んでいて、電車一本で会いに行ける距離なんだから。

だから、寂しいんじゃなくて、「 心細い 」んです。



前にブログで少し書いたけど、我が家は面倒な一族の問題をいろいろ抱えています。

父の病気が判明する前からその醜い争いが繰り広げられていたのですが、本来は家督の相続とともに長男が背負っていくであろうその問題。

今秋の実家滞在時、そうした問題の根本にある遺産相続に関する諸対応も、在宅看護やホスピス入居に関するソーシャルワーカーさんとのやり取りも、任されたのは私でした。

また、いずれやってくる父の葬儀で親戚と対峙することも想定し、喪主としての実質的な対応を私にやってもらいたいというのが母の願いでした。
単純に、私が法学部出身で法律系資格をいくつか持っており、営業経験も相まって対外交渉に慣れているというだけですが・・・


でも、私が近くにいないとなると、私が行うことはほぼ出来なくなります。
何かと騒ぎ立てる親戚は、法定相続人ではない母の存在は部外者として無視することは目に見えています。
そして、大人しい長女(姉)が相手なら自分たちの思うように言いくるめて、事を運びやすいと考えているのが見え見え。


だからこそ、母が「 心細い 」と言う気持ちは良く分かります。
父は今まで、そうした一族の醜い争いの部分を敢えて娘たちに見せようとはせず、父一人でなんとか解決しようとしてきました。
けど、その父がいなくなった瞬間にそのバリアが決壊し、法定相続人となる長女のもとに一気に押し寄せてくることを案じているのです。。。


私の人生がダンナさんの選択次第なのは不可抗力で、どうすることもできないもどかしさ。
(私自身、ダンナさんの将来はダンナさん自身に決めて欲しいと思っているし。)


生きることもまた大変なのだと、つくづく思うこの頃です。