言葉にならない。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


( 本日更新2回目です )


昨晩深夜2時過ぎ、心配でたまらず私が掛けた電話に出た姉は、嗚咽でまともに言葉が発せる状態ではありませんでした。


それでも、必死に状況を伝えてくれた姉の話す父の姿は、私が全く知らない父の姿。
なので想像することも出来ず、無理に想像しようとすればするほど、私まで涙でぐちゃぐちゃになってしまいました。。。


今日も一日、目が覚めてからずっと父の状況を案じていたのですが、今日は母一人でも病院に行くと言っていたので何かあればすぐに連絡が来るだろうと思い、昼間はずっと待機状態。
幸い何の連絡も無かったので、夕食が終わるであろう時間に実家に電話を掛けました。


すると2コール目くらいですぐに母が出て、

 「 今ね、パパがあなたからの電話かも知れないって言ったのよ! 」

と、少し弾んだ声。

それを聞いて、ああ、父は無事に生きていて、私の電話を期待するくらいだから、まだ大丈夫なんだって、すーっと心の緊張感が解けていくのを感じました。


そしてどうやら、父が私に電話を代わって欲しいと手を伸ばしてきたらしく、母と電話を交代。


父の声には疲れを感じたけれども、前回電話で話が出来たのは12月17日だったから、実に20日ぶりくらいに聞く父の声がとても嬉しくて嬉しくて。

「 お正月に箱根駅伝を応援しに行ったんでしょ?
私の母校の活躍を見てくれた?? 」

と話を切り出したら、

「おうおう、すごかったな!
ここ数年はパッとしなかったけど、シード権も獲得できて良かった!!
応援していたら、○○大学のジャンバーを羽織った応援団が近くにいたから、思わず"○○頑張れ!"って声を掛けたよ。」

と弾んだ声で話てくれました。

その一方、少し体を動かしただけで全身倦怠感がひどいこと、手足がしびれて歩くのもままならないこと、お風呂も母に介助してもらい入っていること、昨日から1階で寝ることにしたことなど、厳しい状況を一通り教えてくれた後、

「 それで今日はね、病院に行ってきたんだ・・・ 」

と切り出してきました。


昨日までは病院に行くことを頑なに拒んでいたのに、一転病院に行くことを決意せざるを得ないほどに、今朝は体調が悪かったのでしょう。。。

土曜日の今日は外来日ではなかったのですが、主治医がわざわざ出てきて父を診てくれたとのこと。
大学病院の副院長でもある主治医が父のためにわざわざ出てきてくれたなんて、本当にありがたい限りです。

血液検査や内視鏡を受けた結果は、不思議にも特段の異常なし。
白血球も7900、血中のタンパク質量も悪くなく、栄養状態としては合格点だったとのこと。

「 検査の結果は、何も悪くないんだよ! 」

父はそう言って、なのに何故こんなに体調がガタガタと崩れていっているのかを不思議がり、少し間を置いた後、

「 あのな、身辺整理を始めたんだ。 」

と話を続けました。

国債もオーストラリアドルも全部売却して現金化したこと。
利益が結構出て、嬉しかったこと。
投信はまだ手元に持っているけど、欲張らず現金化してしまおうと考えているということ。

聞きながら、父が自分の死を確実に感じているということが分かってどうしようもなく悲しくなったけど、父が私たちに残せる財産について心配しているのも分かっているから、父が心配しないようにウンウン相槌を打ちながら耳を傾けました。

父は最後に

「 こんな話をしてるけど、一番大事なのはお金じゃないんだ。
家族が一番大事なんだ。
本当に本当に、家族の存在をありがたいって思ってる。
いつもお前のことを考えてるよ。
来週、実家に帰ってくるのを楽しみに待ってるからな! 」

と言い、15分ほどの電話に疲れ切ってしまったらしく、電話を母に代わりました。

交代した母は、

「 お父さんね、こんなにも自分の娘たちのことをかわいいって思えたことは今まで無かったんだって言ってるのよ。 」

とポツリ。

今までだって、あんなにも娘二人を可愛がって大事に大事に育ててくれていたのに・・・

母によると、父の体調は今までと全く違って最悪の最悪に違いはなく、病院では強い睡眠薬に変えてもらったりしたそうですが、それでもまだ病院に行けた体力があるということで、差し迫った余命は提示されなかったとのこと。
越後湯沢の祖父母宅から送られてくる大きなお餅を毎朝食べていることが、きっと父の栄養状態を維持してくれてるのだと話し、私も先ずはそう信じることが大切なのだと思う。


昨晩の姉の話しぶりでは、父の命は私が帰省するまで持たないかも知れない位の印象を受けたのですが、姉も今日自宅に帰らなければならなかったこともあり、父と離れることを考えると気が気でなく、少しパニックに陥ってしまったのかも知れません。。



1週間後、父に会えることはすごく嬉しい。

けどその分、またこっちに戻ってこなければならないことが、想像するだけで寂しく、辛い。

生きている父と会えるのは、来週で最後になるかも知れない。

そう、最悪の事態を念頭に置いて、父と過ごせる時間を大切に過ごそう。



父が生きている。

それだけで、こんなに幸せ。