箱根駅伝。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


そういえば、今年の箱根駅伝には我が母校も出場していました。

私は付属校からそのまま大学に内部進学したこともあって愛校精神が強く、TVにかじりつくように観戦。


ちなみに我が実家のある湘南某地は、箱根駅伝のルート上です。
なので小さい頃からたびたび、お正月は国道1号線で駅伝観戦したものです。


母校は箱根駅伝の常連校ですが、ここ数年は不振続き。
だけど今年は順位を上げ、シード権も無事獲得しました。

父は倦怠感のひどい体調を押して、駅伝観戦に出かけたそうです。
案の定、帰宅してからは伏せっぱなしだったようですが、私の母校の活躍に喜んでくれたことでしょう。


ちなみに優勝した日体大で区間賞も獲った服部選手が、「この喜びを誰に伝えたいですか?」というインタビューに対し、「 天国にいるお父さんに伝えたい 」と答えていたのを聞いて、とても感慨深い気持ちになりました。
服部選手のお父様は、一昨年末50歳という若さで、肺がんのため亡くなられていたそうです。
そんな父に捧げる、優勝と区間賞。

人間は、悩んだり悲しい経験をすることで、未来につながるエネルギーを得られるものなんですね。


年が明けてずっと父の体調は芳しくないことは先のブログに書いた通りですが、箱根駅伝を観たら、前向きな気持ちが沢山沸いてきました。
だから決して悪くはない、寧ろ私にとっては幸先良好な年明け。



今日の父の状況は、もはや傍にいる母も姉も涙しか出てこないくらい悪いそうです。。。
姉からは真夜中に、「 お父さん、もうもたないと思う 」とメールが届きました。

今はこんな風に淡々とブログを更新しているのですが、つい先ほどまでは姉と、涙で言葉にならない電話をしていました。
父の会話の内容が思い出話だけになってしまい、自分の思うようにいかないこともあるとイライラ感情をぶつけるようになり(あんなにも優しく思いやりのあった父が!)、置き場のない全身倦怠感に苦しむ姿を間近で見ている姉。
そんな父の状況を私に伝えるのでいっぱいいっぱいで、何度も何度も「 心配させるようなことばかり話してごめんね。 」と謝ってくる姉。

お姉ちゃんは全然悪くなんてないよ。
言葉にするのも辛いことを教えてくれて、すごくありがたいと思ってるよ。
だから私の分まで父の傍にいて、沢山会話して、いっぱい心配してあげて欲しい。
私は孫を見せてあげられなかったけど、孫を二人も抱かせてあげることのできたお姉ちゃんは、すごく立派で親孝行だよ。

私も涙腺が決壊して、そう言うだけでいっぱいいっぱいでした。


そんな状況でもきっと、父は1週間後の私の帰省まで頑張ってくれるはず。
(夫は「 すぐにでも帰る?」と言ってくれたけど、病院に緊急搬送するという判断には至っていないので、父はまだまだ生きてくれると信じています。)