母の弱音。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


我が母は、人前では絶対に弱音を吐かない人です。


いや、違うな。。。

弱音を吐けない人です。



雪国出身の人は忍耐強いというけれども。


ううん、それも違うな。

全てが無意識的というか・・・いつも根拠なく強気。



正直、自分の母親なのに時々戸惑います。


私は身近な人にすぐに弱音( てか本心 )を吐いて自分が楽になりたい人なので、


  頼らない → 頼れない → 信頼してないんじゃないの???


の構図で捉えてしまうのに対し、母は


  頼らない → 頼りたくない → 人に影響(迷惑?)を及ぼしたくない


という思考回路だということは徐々に理解してきました。


で。

そんな弱っちい私からしたら、弱音を吐かない=精神的に強い人 に思えて、すごいなー、エライなーと思うばかりだったのですが。


最近、その精神的な強さは、意固地の強さなんじゃないかと思ったりするわけです。





昨晩、母から弱気なメールが届きました。


父は5日に投与したタキソテールの副作用がまだ大きくは出ていないようで、普通の暮らしをしてると、些細なことで意地の張り合いをしてしまうそうです。

母的には、こうして意地の張り合いをしていられることがシアワセなのだと感じる一方、

 「 父のいないところで涙を流している私の気持ちも知らないで! 」

と思ってしまうんだとか。



自分の母に向かって超失礼な文言吐いてしまうことにお赦しを。


   んーーーー、なんか面倒くさいぞ。。。クシュクシュ




私が思うに。


父の不安を煽ってしまわぬよう、病状や将来を悲観する涙は堪えた方が良いけれども、父を大切に想う気持ちで流す涙は、寧ろきちんと言葉を添えて本人の前で流すべきなんじゃないかな・・・と。


家族の繋がりは言葉が無くても分かり合えると考えたいけれども、でも、想いを伝えるために、自分の口があり、声があり、言葉があり、言霊があるんじゃないのかな。

それに父なら、自分を想って涙を流してくれる家族の存在を、ありがたいと思ってくれるはずなんじゃないかな。


違うかな?

この期に及んで、親への過度の期待かな?

なんだか母は、2つの涙を同一と捉えて、不必要な無理をしているように思えてなりません。。。



だとすればきっと、母が将来後悔してしまう時がくると思うのです。


  ああ言っておけば良かった。

  伝えたいことがもっと沢山あった。



父のことを誰よりも大切に想い、父に感謝している母には、そんな想いをして欲しくない。


人生、素直が一番!


弱音を吐くことなど見たことのなかった母ですが、娘の私に対してやっと、こんな風に素直な本音をぶつけてくれたことは嬉しかったです。