ラストスパート。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


今日もポカポカ陽気晴れ



父は午前中、バイクで鎌倉にお出掛け。

やっぱり体調はしんどい様だけど・・・

最後の最後まで体に鞭を打って、死ぬときはパタリと逝きたいと。

いつものことながら、父の気力には感服です。


しかしながら案の定、帰宅後はヘロヘロな状態で、夕食も殆ど食べないままに19時には寝床に就きました。

(ランチはかろうじて、ラーメン1杯を食べられたそうですが)



さておき。

お出掛け前の父から、


 「 お前が九州に戻ったら、お母さんと二人で旅行に行きたいから色々調べておいて。 」


とお願いされました。


入院前は、旅行なんて考えたくても考えられない状況だったから、旅行意欲が沸いてくれただけで嬉しいぼー

二つ返事でネットでサクサク調べ、問い合わせをしたり、観光情報を印刷をしたり・・・


お父さんの体調を心配しつつも、父の願いを叶えてあげるのが一番ひらめき電球



そして午後は、母と二人で大学病院の患者支援センターへ。

ソーシャルワーカーの方に、父の終末医療について相談に乗っていただきました。


今通っている大学病院は実家から徒歩10分と掛からない距離だし、主治医との信頼関係もばっちり。

なので可能な限りは今の病院でお世話になるつもりですが、父の終の棲家はやはり、自宅だという想いが強いのです。

・・・となると、やはり在宅医療を事前に考えていかなければなりません。



まだまだ父は自力で生活は出来ているし、食欲は殆ど無いながらも食事も出来ます。

なので、在宅医療を考えるのはまだ時期尚早のことかも知れませんが。。。



癌という病気は、悪化したら「 坂道を転げ落ちるように悪くなる 」と聞いているので、その時に母が冷静にいろんなことを対処出来るか?を考えると、まだ精神的に余力のある今のうちに調べておくことが重要なわけで。


ソーシャルワーカーと話をしながら、いつもは気丈な母が涙。

私は不思議と全く涙は出ず、寧ろ母に代わって自分がしっかりしなければという想いが強くなりました。



私が九州に戻るまであと3日。

ラストスパートがんばりますビックリマーク