急速な回復。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


退院3日目の10月7日。

(イリノテカン投与から6日目)



吐き気と胃痛に悩まされ、一昨日は絶食状態。

昨日はバナナ1本食べるのがやっとだった父ですが、今日の食欲は8割方回復ひらめき電球

胃薬をきちんと飲んでいるおかげだと思うのですが、体調もかなり良くなった様です顔(和む)



なので、朝7時に自宅を出発し、車で片道2時間掛かる祖母(父の母)のもとに行ってきました。



しかも、運転は行きも帰りも父。

朝は高速道路のサービスエリアで父の大好きなラーメンを完食し、昼食は海鮮中華丼も8割方食べれていましたおにぎり

まさに急激な回復具合ですアップ



施設に入っている89歳の祖母は、

 「 もう会うことは出来ないんじゃないかと思っていたよ涙

  だから今日来てくれて、あなたの顔を見ることが出来て、本当に嬉しいああっ

と、涙、涙。

 

子供を思う親心に触れて、私までもらい泣きしちゃいそうでした。



祖母はボケてもいないし大病を患っていませんが、年相応に体は弱ってきているので、本来であれば父が祖母の体を気遣っているハズなのに・・・

見ていて本当に切ないですが、それでも父が祖母のもとを訪れることが出来て本当に良かった星




そして帰宅後、さすがに父はグッタリだろうと思いきや、

「 運転の練習に行こうビックリマーク

  休んじゃうと、また動くのが面倒くさくなっちゃうから。 」

と、父からお誘い。


私のために、こんなにも一生懸命になってくれる父。

ありがたすぎます(´∀`o)


それで、自宅の近くを運転練習すること約2時間。

ペーパードライバー暦11年だっただけに、今はまだ道路を前に走ることだけでいっぱいいっぱいなのですが、父の熱血指導で駐車練習まで。。。


最後は私の方が疲れて、

 「 今日はここまでで勘弁して~あせ

と、お願いする始末でしたG



このまま父の体調が回復して、癌であることすら忘れる日が来るんじゃないかと思いたいところですが・・・

やはり、厳しい現実を真正面から受け止めなければなりません。

昔の写真を見返しながら、父が

  「 遺影にはこの写真を使って欲しいなー。

   僕が一番、必死に働いていた頃の写真だから、表情もキリッとしてていいじゃないかチョキ

と指名してきたりとか、

 「 出来ることなら、この頃と同じルートで旅をしたいね。 」

と言って楽しそうに話すのを聞いていると、涙腺の弱すぎる私は涙を堪えきれず。。。



私が生まれる前、父も母も今の私よりも若い頃の写真を見てしまうと、

 「 こんなにも健康そうで、いかにもいい人そうな人間が、40年後に進行癌になってしまうなんて・・・ 」

と、切なさモード1000%で、涙腺コントロールが出来なくなってしまいます涙



ああ、なんでこんなにも涙もろいの、私は苦悩

父は冗談満載に楽しく話をしていると言うのにあせる



本人の前では泣けないけど、父のことを考えるとお布団の中で泣きっぱなしになってしまったりするので、最近は水分不足によるシワの増加が悩みでもあります得意げ

メソメソ泣くのは、精神的にも美容的にも良くないことを実感。



私は私で、自分の精神を鍛えることが目下の努力目標だー。