入院4日目~主治医との家族面談。 | 父と家族の末期がん闘病記

父と家族の末期がん闘病記

2012年6月末、当時65歳だった父が突然、末期の食道小細胞がんとの診断を受けました。
現実と向かい合うため、父との日々を忘れないための記録ブログです。


2012年7月6日(金)、父の入院4日目の記録の続き。



父とは1時間半ほど一緒に過ごしたあと、夫と私は実家に行き、母と姉と夕食を食べることになりました。


実家と我が家の帰宅経路上に住んでいる姉を私たちの車で送り届けることになったため、20時からの主治医の面談は、母・姉・夫・私の4人で受けることに。


夕食を食べながら、父に抗がん剤の副作用の状態が出ていないことが話題にのぼりました。

姉が、「副作用がないということは、薬の効果がないということ?」と聞いてきたので、夫が副作用と薬の効果には全く因果関係がないことを説明。

その後も、主治医に聞くほどでもない医療素人の疑問が夫に向けて投げかけられ、そのやりとりで、母も姉も、医師である夫が来てくれたことを、頼もしく感じている様子でした。



そして、予定時刻より早い19時半に病院に到着。

ナースステーションに行くと、すでに主治医が待機してくれていました。


別室に移動し、主治医とはじめましての挨拶。

夫が主治医と対面席に座り、その横に私。

母と姉は部屋の隅で、3人のやりとりを聞く形になりました。



まず、父の病状について詳しい説明を頂き、治療方針についての話が続く。

父にはほとんどシスプラチンの副作用が出ていないことには主治医も驚いている様子でしたが、

「 副作用が強く出る方が多く、その後の治療断念せざるを得なくなるケースもあるため、まずは様子見で7割ほどの量を投与しました。 」

とのこと。

また、副作用を懸念して入院期間を2週間としていたが、今後の経過を見て、入院期間の短縮も可能ということでした。


夫がCT画像の公開を求めると、わざわざ外来の部屋まで移動をし、30分以上かけて、丁寧に説明をしてくれました。

肺に近いリンパ節へは多くの転移が認められ、今のところ骨や肺への転移はないことが分かったものの、悪性の進行がんであるため、全く油断は出来ないことには違いありません・・・


余命についてズバリ聞いてみると、統計的には半年程度となるが、医師であっても人それぞれの余命をズバリ言い当てることなど出来ないし、家族としては余命を気にすることよりも、いつなん時最悪の事態が起きても対応できるような心構えをしておくことが重要で、出来るだけ早いうちに、父に楽しく充実した時間を与えてあげて下さいとのことでした。


・・・要するに、余命とは天命・・・


それ以外にも主治医と夫の会話を中心に、専門的な話から家族としての心構えに至るまで色々な話をし、1時間以上掛けた主治医との面談を終えました。



面談後、夫は

「 素晴らしい主治医と巡り合えたね。

 考え方にも同意できたし、患者の立場に立った治療方針を示してくれている。

 教授という立場にありながら腰も低く、僕も同業として、学ぶことが多かった。

 年齢も若そうだし、相当周囲からの評価も高いんだろうな。 」

と感想を述べました。


専門的な話には分からないことも沢山あったけど、夫が医師だということをこれほど心強く思ったことは今までなかったな。。。

普段の生活で、夫の職業を意識することなんてほぼ無いわけだし・・・


とにかく、夫には感謝しきりの一日でした。