私は夫と二人暮らし、今現在は首都圏に暮らす専業主婦です。
夫は医師(整形外科医)ですが、大学病院勤務の転勤族。
2012年8月1日付けでの地方転勤を控えており、7月2日は転勤先の交付日でした。
7月2日の午前中、夫の転勤先が遠い九州に決まったとの連絡を受けて、すぐに実家へと電話をしました。
実家は電車で2時間半ちょいの距離にあります。
転勤先の第1希望は北海道だったのですが、それが正反対の場所に決まったことは大きな衝撃で、電話口に出た母にショックな心境を伝えました。
同時に夫とケンカをしたばかりだったため、夫の愚痴までかなり一方的に喋りまくった上で
「 両親のもとから遠く離れるのは嫌だ!!行きたくない。 」
とまで言ってしまい、その発言を窘める母に対して、バツの悪い感じで電話を切ることになってしまいました。。。
そして夜になり、大事な話があるから電話で話をしたいと、母から携帯メールが入りました。
午前中こぼした愚痴のことをきっとまた、たしなめられるんだろうと思って電話に出るのを少し躊躇ってしまったのですが・・・
電話口に出たところ、掛けてきたのは父で、いつもと変わらぬ口調で話が始まりました。
そしてその内容は想像していたものとは違い、余りにも単刀直入で衝撃的な内容だったのです。
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・今日、近くの大学病院で検査を受けた結果、進行性の食道がんと診断されたこと。
・診断された内容を読み上げ、既に肺などへも複数の転移が認められ、手術できる状況ではないこと。
・明日から緊急入院が決まり、すぐに抗がん剤治療を受けること。
・自覚症状は4月初旬からあり、その時の診察では何も分からなかったが、自覚症状が進行した6月下旬に再度診察をして、今回の精密検査・診断につながったこと。
・今まで精一杯生きてきたから、死ぬのは怖くないだけど、遠くに行ってしまうことが決まったワガママな私のことが一番心配だということ。
・診断が下って、一番最初にこの事実を、私に知らせたいと思ったこと。
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父は余命については全く触れていませんでしたが、電話で話をしながら私はインターネットで食道がんのことを調べ、その内容が父が話す症状や診断内容と全く一緒で、確実に余命を意識しなければならないステージⅣであることを理解しました。
なのに父の声が明るく、「 死ぬのは怖くない 」と言った言葉にまったく澱みがなく、まるで達観した様子だったためか、私は涙がボロボロと出るものの、なぜか不思議と悲観的な気分にはなりませんでした。
その後私は母に電話を代わってもらい、今週中に都合を付けて実家に帰ると伝えました。
TVドラマ等を見ていると、癌を患った患者当人に対して余命を意識するようなことを言うのは一番のタブーというイメージがあるのですが・・・
最悪の宣告を受けた当日であるにもかかわらず、父があまりにも冷静に、そして淡々と宿命を受け入れている様子のためか(ひょっとするとそれは強がりかもしれないけど)、母も私も父が聞いていると分かった上で、
「 4月に3人で旅行に行ったり、先月も一緒にお出かけ出来たのは、何かの思し召しだったのかも知れないね・・・ 」
「 元気なうちにお父さんを連れて行ってあげたいから、転勤先の別府でいい温泉宿を探しておくね。 」
などと明るく会話をしました。
そして母も最後に、
「 お父さんは明るいのが大好きだから、メソメソせず、どんちゃん騒ぎをして楽しく見送ってあげられるようにしなくちゃね。」
と言い、電話を切りました。
電話で話していたのは、45分弱程度だったと思います。
しかもその日にガンであることの診断を受けたばかり。
その中で、突然の父の病の告白に始まり、最後の見送り方まで話すことになるなんて、あまりにもあっさりとしすぎなんじゃないかと思う反面、それは本当にお互いのことを良く分かり合っている家族の証明なのかな・・・などと漠然と感じていました。
32年間生きていて、はじめて家族の血縁の不思議さを感じた夜でした。