『「めんどうだから、考えるのやめよう」と判断したなら、
イヤな気持ちになったと思います。』
『「勉強しなければいけない」のほうが、勉強しなかったとき楽です。
言い訳を考えればいいだけですから(そして私たちは言い訳がとても得意ですから)』
イヤな気持ちになったと思います。』
『「勉強しなければいけない」のほうが、勉強しなかったとき楽です。
言い訳を考えればいいだけですから(そして私たちは言い訳がとても得意ですから)』
身をもって、しかも性懲りもなく何度も経験してきたことである。
目先の大変さから逃げても、後味の悪さだけが残る。むしろ息を止めて全力で走り抜けた方が得られるものもあり爽快感も残る、とわかっていても
「今日くらいは勉強はいいか」となってしまう。
だがさすがに年の功で「今日くらいはいいか」からは何も生まれない事は学習し、その積み重ねが今であり、その現状から脱出しようとしている、というロジックが自分の中に出来上がっていて「今日くらいはいいか」→「今日勉強しなくていい理由はない」と自分自身の背筋を伸ばさせるテクニックは身に着けた。
偉そうにテクニックを身に着けたなどと言うほどの物ではないかもしれない。
20歳台、30歳台、40歳台は「やらなくてはいけない、しかしそれは今でなくてもよい」と努力を先送りしてきたがさすがにその言い訳ができなくなっただけのようにも思える。
負の経験が積み重なって発酵して爆発したエネルギーが今の自分を突き動かしているのかもしれない。
理由はともかく、生涯で今が一番整理整頓をこまめに行っている。