今月は雨が多いですね。
5月の雨と書いて、五月雨(さみだれ)と読みますね。
字面から、5月のお天気続きの合間に降る雨のことだとなんとなく思っていました。
でも、本当はこの時期の雨のことを指して言うのではないみたいです。

五月雨という言葉ができたのは、昔々、正確には知りませんが和歌などに詠まれているので平安時代にはあったはずです。

つまり、旧暦の5月の雨。
今でいうと、6月頃の雨。つまり、梅雨ですよね。
梅雨のことだと考えると、和歌も違って聞こえます。

さみだれを あつめて早し 最上川

5月の雨よりも、スピード感が増すというか、獰猛な流れのように感じるのは気のせいではないはず。

言葉の意味を誤解していることって数え上げればきりがないと思います。
なかなか、普段耳にする言葉を改めて辞書引いたりとかしないけれど。
言葉を知っていないと、相手の意図をちきんと汲み取れなかったりするから、せめて母国語くらいは知っておかないとなぁ。

と思う今日この頃でした。
私は異端だった。
今振り返ればずっとそうだったなと思う。

幼稚園児の時には、すでに孤独を感じることが多かった。
なぜお遊戯というつまらないことに興じられるのか。
なぜ親鸞様という会ったこともない人の銅像に向かって毎朝合掌し頭を下げて挨拶できるのか。
わたしには分からなかった。

誰にやれと言われても、納得がいかなければやらない子どもだった。
だからみんながお遊戯をするのを後ろから鉄棒に座って見ていたし、一度も親鸞様の銅像に頭を下げたことがなかった。

お遊戯に何の意味があるのか説明を求めると、大人たちは一様に困った顔をした。
なぜ当たり前の質問をされて困るのかも分からなかった。

分かったことは、人を抑えつけることはできないということ。
教育は洗脳に近いということ。
自分で考えることの大切さ。

◯◯ちゃんもやっているから、みんなが持っているから、お母さんに言われたから…

人は、自らの意志で行動を起こすべきなのだ。



今もよく分からない。

早く結婚しろと言う割に、結婚して良かったことを尋ねられて困惑する大人たち。
なぜ答えられないのだろう。
では、なぜ結婚をするのだろう。

違和感には、敏感でいたいと思う。
表現者として。
したいと思ったことをすべきなのだと思う。

矛盾が許せない性格なのかもしれない。
シーシェパードが嫌いなのも、ネトウヨが嫌いなのも、矛盾しているからだ。


だから私は音楽をやっています。

自分の考えを明確にするため。
その考えを提示するため。
疑問を投げかけるため。
自分で考えて、気づいてほしいから。

だから楽しければいいという音楽は私はできない。
観客をやたらと煽ることもしない。
ジャンルも何でもいいです。

やりたいことをすればいい、
自然体でいい。

そのことに気づかせてくれたのも音楽だから、
私はそれを伝えるために音楽を続けたいのです。
ゴールデンウィークです。
大人になったらなかなか行けない、旅行に行く方も多いでしょう。
アイスランド行きたいなぁ。
と思いつつ、毎年ゴールデンウィークは近場でバーベキューして普段会えない人や色んな人と会うことが多いです。
ほぼ毎日スタジオに篭っていた年もありました。

今年は岡山県和気郡の藤公園というところに行ってきました。
ちょうどこの時期、藤の花が見頃でして、すごくたくさんの人出で賑わっていました。
昔から藤の花が好きで、絵に描いたりしていたんですが、まさに水彩画のような美しさでした。
昔の人は藤の花が風に揺れる様子を「藤波」と言ったそうです。
藤棚から垂れ下がる花弁の房、田舎の綺麗な空気、初夏の暖かい陽射し、
平城京でもきっと藤の花は愛でられていたでしょう。

藤公園はとても種類が豊富で、白い藤やピンク色の藤、八重咲きや房の長いものなど、見ていて飽きることがなかったです。
今年は昼間だけにしたんですが、夜はライトアップもしているようなので、次回はそちらも見てみたいです。


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今日は友達夫妻のお家でホームパーティです。
皆さんも引き続き良い休日をお過ごし下さい。