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わたしのことを、みじめな可哀想な心とかみすぼらしいザマとか何とか言いたい人は言うだろう。


みじめな気持ちになったことも、みすぼらしい思いをしたことも沢山ある。 

そういう時は誰にでもあるのではないだろうか。

しかし、わたしは決してそれだけで終わらせたわけではない。

常にそういう気持ちを抱えつつも、そういう気持ちを脇に置いて、自分磨きをしてきた。

その過程で得た喜びや感謝もあった。


いきなり仕事で大成功したわけではない。

プライベートでも、これまでのことって一体何だったの?というような大失敗もあった。


いきなりモテ始めたわけでもない。

むしろ、アラフォーにさしかかって、それなりに頑張っているのにモテなくなった。

体型もだんだん、あきらかにお腹が出てくずれていった。

年齢やコロナ期などのタイミングもあったが、周りの反感を買ってあら探しをされて足を引っ張られたこともあると思う。

その人たちじたいが卑屈だったのかもしれないが。

そういう時に支えて応援してほしかった期待していた人たちはそばにいてくれなかった。


しかし、わたしなりに前向きに頑張ってはいた。

母の話や、昔の祖母の日記を読んで、まんざら理解がなかったわけではないと思うことがある。


祖母は長年日記をつけていた。

わたしが20歳頃までの何冊もある祖母の日記を実家で見つけた。

色んなことが書いてあった。

兄弟や親戚のこと、近所の人たちのことなど。

わたしへの不満や悪口を日記に書きたかったわけではないからだろう、ただ他の人たちに焦点をあててわたしを無視するような冷たい書き方をしているところがあった。


そもそもわたしは昔から母と喧嘩ばかりしていた。

祖母とは遠距離だった。

でも、日記にはわたしなりに頑張っていると書いてあったりして理解はあったのだと思った。

母の話でも、祖母がわたしの東京での良かった話を聞いて自信がついたような態度になったと言っていた。

祖母なりに色んなことを受け入れたのだろう。


わたしは祖母が生きている間に大成功したわけではないが、わたしなりに祖母を喜ばせたかもしれないと思うと良かったのではないかと思う。

わたしの人生はまだあるし、希望もあれば良かったのではないかと。


晩年の祖母には何回も会いに行き、わたしなりに祖母に尽くした。

祖母が生きている間にわたしは、きちんと引っ越した。

すごく悔やまれるところもあれば、まだ片付けなくてはいけない課題もあるが。


これまでのわたしは決して完璧ではなく、すごく悪いところもあれば、辛く理不尽な思いをしたこともあった。

いつでも何かしら辛さを抱えつつだったが、わたしはその中の幸せに全く意味がなかったとは思わない。


その中で、ここ5〜7年のわたしのブログを年末の記事だけアップする。

わたしはアクセスを増やすためだけに更新していたわけではないので長くアメンバー限定記事にしていた。

しかもタイトルは日付だったりした。

それを今タイトルをつけて、それぞれの年末のものだけ全体公開にする。


わたしへの見方は人それぞれだ。

みじめとか、みすぼらしいとかいう見方をする人もいるだろう。

わたしの失敗した瞬間をリプレイしてわたし自体がずっとそうだとレッテルを貼っているほうがその人にとって都合がいいから。

自分がされたらどうなんだろうね。

みじめな瞬間もあるが、何度も言ってきたがわたしはずっと不幸に浸っているわけではない。

解決策を考えて前進する。

前向きな光っているところに焦点をあてている。