「本当の悲しみ」を味わった人は、みな必ず笑っている。かれらの笑うさまは、常人のそれとは全然ちがうものだ。笑っているようでいて、その実心は泣いている。私にはそういう笑い方をする人を何人も知っている。


なぜ笑うのか。かれらは「笑うしかない」のだ。


陰鬱で悲痛な面持ちでいる人の悲しみは、まだ本物ではない。


悲しいものは、なぜか美しい。


それは、誰かのために生きること、誰かの心の中に生きること。人を愛すること。人に愛されること。


「人は自分ひとりのために生き、自分ひとりのために死ねるほど強くはない」

   三島由紀夫


私は、求めている。
語ること、自分を知ること、相手を知ること、そして本当の自分を分かってもらうこと。

でも、私には本気で対話する相手がいない。誰も、私を理解しようとしてくれない。私とぶつかってはくれない。そこには会話しかない。


小説や詩を書き、絵を描き、映画を撮る芸術家。


彼らはみな対話を求めている。

「私は、こんな人間なんだ」、「私を見てくれ」、「私に触れてくれ」

技術や評価なんて無価値。


みんな創作に救いを求めているのだ、人間性を回復させようと必死なんだ。


そしてそういった意味では、万人が芸術家なのである。