流行の名前?~平安時代皇室男子編 | 前世はきっと平安貴族

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歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

突然ですが今上天皇の

諱(いみな=お名前)を

ご存知でしょうか?

 

そう、「徳仁」(なるひと)様

とおっしゃいます。<以下敬称略>

 

今上天皇は第126代天皇。

 

 

その前の上皇様は

「明仁」(あきひと)。

 

昭和天皇は

「裕仁」(ひろひと)。

 

大正天皇は

「嘉仁」(よしひと)。

 

明治天皇は

「睦仁」(むつひと)・・・

あ~もうええわ!

 

とにかく皇室男子の諱(いみな)には

やたらと「仁」の字がつく。

 

今上天皇の弟・秋篠宮皇嗣殿下だって

「文仁」(ふみひと)だしね。

 

いつからこんな風になったんじゃ~?

と思うけど、名前に「仁」が入った

のは清和天皇からでございます。

 

第56代清和天皇の諱は

「惟仁」(これひと)。

 

調べた限りでは

これ以前に「仁」のつく皇室男子は

見当たらず。

 

そして清和天皇の兄弟にも

「仁」のつく皇子はいらっしゃいません。

 

つまり清和天皇こと惟仁親王はこの時

唯一無二の「トップバッター"仁"

だったのです。

 

その後、

第60代醍醐天皇が「敦仁」(あつひと)

第66代一条天皇が「懐仁」(やすひと)

という諱でいらしゃいましたが、

 

まだこの頃は「仁」の字はそれほど

定着しておりません。

 

天皇の諱イコール「○仁」となったのは

第70代後冷泉天皇からでした。

(諱は「親仁」ちかひと)

 

以後、後三条(尊仁)、白河(貞仁)、

鳥羽(宗仁)と続き、

現在に至るまで天皇の諱は

圧倒的に「○仁」となっています。

 

後醍醐天皇(尊治親王)のような

例外はもちろんありますけどね。

 

正確に言えば、天皇だけでなく

皇族男子においても「○仁」である

場合が非常に多いです。

 

その中でも皇女和宮の婚約者だった

有栖川宮織仁(たるひと)親王は

有名ね。

 

 

 

でも 一体全体どうして

こうなったんでしょうね~?

 

「仁」という字にはものすごく

良い意味があるから?

 

 

もしかすると

 

「せや!たしか清和天皇はんの

諱に”仁”の字がついとったな!

あれえらいシャレてるよって

ちょいと真似したろ」

 

なんていうのが発端だったりして。

 

知らんけど。

 

陽成天皇や冷泉天皇の諱にその字が

ついていたらおそらく真似をしなかった

でしょうね。

 

 

こうして「仁」の字が多くの

皇子たちに付けられるように

なったのは後冷泉天皇あたりから

なんですが、

 

じゃあそれ以前の皇子たち

どんな名前だったのか?というと

これが結構興味深いものが

あるんですよ~。

 

実は今回のテーマはそれ上差し

 

 

題して

「皇室男子、流行の名前?

    ~平安時代編」

 

鉛筆【おことわり】

時代は平安時代に限っています。

あと、名前の読み方は省略します。

ついでに敬称も省略していますので

悪しからず。

 

 

第52代 嵯峨天皇の皇子

・業良

・正良(仁明天皇)

・秀良

・忠良

  ~やっぱり「良」の字は良い

 

第53代 淳和天皇の皇子

・恒世

・恒貞

・恒統

  ~恒=いつも変わらないという意味

 

第54代 仁明天皇の皇子

・道康(文徳天皇)

・宗康

・時康

・人康

・本康

・国康

・常康

・成康

  ~健康でいてほしいと願った?

 

第55代 文徳天皇の皇子

・惟喬

・惟條

・惟彦

・惟仁(清和天皇)

・惟恒

  ~うん!「惟」シリーズですね

 

第56代 清和天皇の皇子

・貞明(陽成天皇)

・貞固

・貞元

・貞保

・貞平

・貞純

・貞辰

・貞数

・貞真

・貞頼

  ~「貞」の字が大好きだった?

 

第57代 陽成天皇の皇子

・元良

・元平

・元長

・元利

  ~「元」つながりですなぁ

 

第60代 醍醐天皇の皇子

・克明

・保明

・代明

・重明

・常明

・式明

・有明

・時明

・長明

・兼明

・寛明(朱雀天皇)

・章明

・成明(村上天皇)

・盛明

・(源)高明

  ~「明」は「あきら」と読みます

 

第62代 村上天皇の皇子

・広平

・憲平(冷泉天皇)

・致平

・為平

・昭平

・昌平

・守平(円融天皇)

・具平

・永平

  ~「平」ばっかりだね

 

第66代 一条天皇の皇子

・敦康

・敦成

・敦良

 

第67代 三条天皇の皇子

・敦明

・敦儀

・敦平

 

この頃は「敦」の字が流行?

ほぼ同じ時期に、冷泉天皇の

皇子にも敦道親王という方が

いらっしゃいますが、

 

この方は藤原兼家の孫であり、

あの和泉式部と大恋愛を

した事で有名でございます。

 

 

こうしてみると、平安時代にも

流行りの名前ってあったのかなぁ?

なんて思ってしまいますね。

 

流行の名前、というよりは

その時の「縁起の良い字」を

皇子たちに付けたという方が

正しいかな?

 

 

という事で、

名前に同じ字を付けられた

後冷泉天皇以前の皇子たちを

ご紹介いたしました。

 

違う字を付けられた皇子たちは

ここに挙げておりませんので

どうぞご了承願います。

 

 

以上、

「別冊歴史読本 天皇家系譜総覧」

を参考にさせていただきました。

 

 

ちなみに

「2023年 男の子赤ちゃんの名前」で

1位に輝いたのは「」(れん)

だそうです。

 

そういえば

知り合いの息子ちゃんも

蓮くんだったなぁ。

 

 

そうそう!超マイナーな話で

申し訳ないんだけど、うちの

父方の男子は全員「」の字が

付いておりましたね。

 

ひい爺ちゃんが「友吉」

 

爺ちゃんが「友義」

 

そして父は「友博」です。

 

父の兄弟も「友久」「友俊」と、

見事に「友」づくし!爆笑

 

だからね、名前を呼ぶ時は

「友」を省略してその下の名前

だけを呼んでたらしいよ。

 

父の場合は「ヒロシ」と

呼ばれておりました。

 

なるほど

博」だからヒロシか。