牛馬のいる生活 | 前世はきっと平安貴族

前世はきっと平安貴族

歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

「光る君へ」第7回では

打毱という競技をする場面があった。

 

西洋のポロよろしく

馬に乗りながら杖で地面の毱を

器用にすくい上げゴールに飛ばす

という競技だ。

 

 

 

どの役者さんも上手に馬を操って

毬を飛ばしていた。

 

これ以前にも柄本佑扮する道長が

馬に乗る場面は何度もあった。

 

 

平安時代というと、移動手段は

もっぱら「牛車」というイメージが

強いのだが、考えてみたら

それだけで用が足りるはずがない。

 

なんたって牛はのろい。

 

だから急いでいる時はさすがに

馬に乗る。

 

 

してみると、馬に乗れるというのは

男子の必須条件だったのだろう。

 

どんな権門の家に生まれようが、

男の子は幼い時から馬に親しみ

乗馬の訓練をたしなんだに違いない。

 

もちろん最初のうちはうまく

乗れずに落馬する危険性も

あっただろう。

 

しかし乗れるようになるまで

何度も何度も指導を受けたはずだ。

 

 

平安貴族もなかなか大変なのだ。

 

あの光源氏でさえ当たり前のように

馬を乗りこなしている。

 

まぁ、当時はサラブレッドなど

いないからポニーのようなサイズの

馬だったわけだけれど。

 

 

ともあれ馬は利便性が良く

当時の人々にとっては

なくてはならない家畜だった。

 

 

じゃあ移動手段も牛車じゃなくて

馬車にすればいいじゃん?

 

と思うのは当然です。

私だってそう思うもん。

 

 

しか~し!

馬というのはそもそも高価である上に

飼料にお金がかかるらしいです。

 

何もしないでただ飼うだけなら

そのへんの草でも食べさせておけば

いいけど、実際に人を乗せたり

荷物を運ばせたりするとなると

それなりにウマイ餌を食べさせる

必要があるという事なんですな。

 

そうしないと馬がカロリー不足で

ダウンしてしまうんだとか。

 

 

その点、牛は粗末な餌でも

充分な働きをするので

飼育しやすかったらしいです。

 

 

それと、当時はでこぼこ道で、

雨が降ったらすぐにぬかるみ状態。

 

そういう道路状況を考えると

馬よりも牛の方が安定性が高い

という利点があったわけです。

 

まぁそんなわけで、牛車が広く

普及したのであります。

 

 

牛車は確かにスピードが遅いけど、

その遅さが何とも言えず優雅な

雰囲気を出していると受け取られて

いたのでしょう。

 

 

平安貴族にとっては

「牛車に乗ること」それ自体が

ステータスのようなもの。

 

乗る牛車の種類によって

身分や位階のランクを示す事も

出来るし、季節に応じて風流に

飾り付けを楽しむ事も出来る。

 

乗り心地は決して良いとは

言えなかったでしょうけれど、

牛車がゆっくりゆっくり動くさまは

えも言われぬ優雅さだったのでは

ないかと思います。

 

 

ちなみに牛車というのは

後ろから乗って前から降りる

のがお作法。

 

 

1.後ろから乗って~

 ↓

 

 

2.前から降りる~

 ↓

(写真は風俗博物館よりお借りしています)

 

 

それを知らなかった源(木曽)義仲が

後ろから乗ったはいいが、降りる

時も後ろから降りようとして

都中の人々の嗤い者になった

という話が、後の「源平盛衰記」に

書かれております。

 

義仲は田舎者なんだから

そのぐらい許してやってよ~

 

 

というわけで、平安時代の

人々は馬や牛がいるのが

当たり前の生活をしていた

わけですな。

 

してみると、あの豪華な寝殿造の

お屋敷の一角にも必ず牛や馬を

飼育する場所があったはず。

 

ヒヒ~ンやらモ~やらの鳴き声も

さぞや聞こえて来たでありましょう。

 

それだけではなく、排泄物の量

だって相当なものだったに

違いありません。

 

さらに一歩外に出れば

道路には馬糞や牛糞が落ちまくり

風に乗ってそれらの悪臭が鼻を

ついた事でしょう。

 

誰も片付けたりはしなかった

でしょうしね。

 

 

こうしてリアルに想像してみると

平安時代は決して「雅」(みやび)

ばっかりでは無かった事に気づかされます。

 

恋人との逢瀬で愛を囁いている時に

馬のいななきが聞こえたり

かぐわしき臭いがただよって来るのは

案外日常的な事だったのかも。

 

 

ま、でも牛は乳製品(蘇とか酪といった)

も取れますしね。

 

今で言うチーズのような物ですが

当時は「薬」として皇族や

一部の上流貴族が食していました。

 

 

 

ところで牛も動物である以上、

安全性のため調教する人間が必要でした。

 

それを「牛飼童」(うしかいわらわ)と

言い、牛が暴走しないように先導する

役目を担っておりました。

 

(風俗博物館より)

 

 

垂れ髪に水干を着用した童形の姿で

牛を導き、牛車を進ませる牛飼童。

 

面白いのはこのお役目、

どんなに年を取ってもこのスタイルで

いたので終生「童」と呼ばれていた

そうです。

 

ヒゲが生え、すね毛も生えた

野太い声のオッサンでも

「童」・・・きもッ!あせる

 

 

ことほどさように昔は牛馬の存在が

生活に欠かせなかったわけで、

今の我々が見たらびっくりするくらい

需要があったのではないでしょうか。

 

考えてみれば

牛や馬だけではありません。

野犬も沢山いたでしょうし

熊やオオカミ、狐にイタチ・・・etc

 

たとえ都であっても

けっこう動物に囲まれた環境だった

のは容易に想像できます。

 

共存は、なかなかに

厳しいものがあった事でしょう。

 

それらの苦労を背負いながら

サバイバルして来た先人たちに

心からの敬意を表したいと

思うのでした。

 

 

私ね、

「昔はどうだったのかな?」って

あれこれ考えるのが大好き

なんですよ~ドキドキ

 

こんな変な記事を

読んでくださって

ありがとうございましたお願い