「光る君へ」第6回~二人の才女っていうから期待したのに | 前世はきっと平安貴族

前世はきっと平安貴族

歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

まずは清少納言の名前が

「ききょう」だった事に

驚いた。

 

ききょう?

 

何で?

 

そもそも紫式部が「まひろ」で

ある事もずっと疑問なんですけど。

 

で、清少納言は「ききょう」

なのね?

 

まぁ二人とも本名が不明なので

ドラマの構成上、何がしかの名前を

付けなくてはならないのだろうけれども

「まひろ」は現代的すぎる気がするし

「ききょう」は何だか戦国時代っぽい。

(すみません個人的な思い込みです。)

 

ま、それはそれとして

紫式部と清少納言が直接対面した

事実は無いという説がまかり通って

いるというのに、

まさかのご対面ですよ~みなさん。

 

 

もちろんドラマなので、こうした

フィクションも楽しく観させて

いただきました。

 

ただね~、今回はサブタイトルが

「二人の才女」だっただけに、

率直に言って拍子抜けの感が

ありました。

 

例えば

 

まひろとききょうが

漢学の知識を披露して丁々発止の

バトルを繰り広げ、その場にいた

人達が舌を巻く

 

とか

 

その時、ききょうが放った

キツ~イ一言が

生涯まひろの心の傷となり、それが

のちの「清少納言批判」に繋がる

原因になる

 

とか

 

そういうのを期待しちゃった

のよね。

 

でも、特にバトルらしきものも

無かったし、ききょうがまひろを

傷つけるような言葉を発する事も

無かったと思う。

 

あえて言えば

印象的だったききょうのひと言

「わたくしはそうは思いませんわ」

 

このひと言にまひろは自身を

否定されたようでムッと来た?

 

でもさ、おかしいよね。

左大臣家の女子会で

話が全然かみ合わなくて

さんざん居心地の悪い思いをして

いたまひろなんだから、

むしろこの場合は

 

「うわっ!私以外にもこんなに

漢学に明るい女性がいたんだ!」

って喜ぶ方が自然な流れだったような

気がするわ。

 

2人が「白楽天」や「元微之」(げんびし)

の名前を口にしたというだけでも、

当時は「才女」として認定されたの

でしょうね。

 

(それにしてはあの場にいた男性達が

「おお~っ」と驚いた様子も

無かったけど)

 

ちなみにこの場面は985年という

設定なので、まひろの年齢を推定で

16歳とすると、ききょうは23~25歳。

もう既に結婚もしております。

 

袿(うちき)の柄が独特で個性的で

ございました。

 

この2人が対峙する場面って

まだあるのかなぁ?

 

もしかしたら回を重ねるごとに

まひろはききょうに対して批判的に

なってゆくのかもね。

 

ともあれウイカちゃん、とっても

ナイスなデビューでした。

ああいうカラッとしたキャラは

本当に親近感を感じます。

 

いつもの「お水系」メイクを

封印してほとんどすっぴんに

見えるのも二重丸

 

そうそう、藤原斉信が帰り際に

「ああいうのもイイな」って

話してましたけど、実際この人は

清少納言に色々とちょっかいを

かけているわけで。

 

そのあたりの予告もお見事でした。

 

ポンポン物を言うききょうを見て

道隆の妻・貴子がニヤリとして

いたけれど、これはひょっとして

 

「気に入った!娘・定子のために

将来この子を女房にスカウト

するわ!」

 

って事かな?

なんて想像をしちゃいましたよ。

ああ楽しい~。

 

 

さて道長は道長で、倫子との

縁談を父と姉の2人から指示されて

大変ですなぁ。

 

詮子の「裏の手」って左大臣の

源雅信を味方に引き入れる事

だったのね?

 

でもどうしてこれが「裏の手」に

なるのか今ひとつ分からなかった。

 

だって兼家も倫子を道長に勧めて

左大臣家との繋がりを強化しようと

しているわけだしね?

 

それ以前に、兼家にとって

東宮・懐仁親王は大事な大事な

持ち駒であるし、その母である

娘・詮子に対しては感謝こそすれ

その存在を消すなどとは

到底考えられないのですが・・・。

 

う~ん、

私がアタマ悪いだけなのかな?

 

 

兼家は円融天皇に毒を盛り、

さらに花山天皇の女御・忯子を

呪詛して首尾よく葬る事に

成功いたしました。

 

うわ~、忯子死んじゃったよ

お腹の子と共に。

 

ついに大事件への引き金が

引かれてしまいましたね。

来週が楽しみです。

 


さて、道長はまひろに対して

遠慮なく恋心を伝えるように

なりましたね。

 

漢詩の席で選んだ詩といい、ドラマの

最後でまひろに送った歌といい

これはどう解釈しても恋心を伝えた

ものでしょう。

 

しかしまひろが受け取った

 

ちはやぶる 神の斎垣も 超えぬべし

 恋しきひとの 見まくほしさに

 

こ、この歌は

「伊勢物語」に出て来る

有名な歌のパクリではないか!

 ↓

ちはやぶる 神の斎垣も超えぬべし

 大宮人の 見まくほしさに

 

ほら~、一箇所しか違わない!

 

和歌の世界には「本歌取り」という

のがあって、よく使われる手法だと

いう事は知っている。


しかしそれは大体が元歌の一節を

さりげなく取り入れている物が多く、

ここまで一致させているというのは

どうなんだろう。


もうちょっとオリジナリティーを

出さないといけないんじゃ?

 

まひろは当然この元歌を知っている

だろうからこんなんもらっても

嬉しくないのでは?

 

と思ったけど、大事そうに文を

抱きしめていたので

BBAの余計なお節介かしらね。

 


そうそう、前回「蜻蛉日記」の

作者である右大将道綱の母が

登場していましたけれども、

今回はその有名な歌が

左大臣家の女子会で取り上げられて

いました。

 

あの頃すでに蜻蛉日記は広まって

いたという説もあるので、まんざら

ウソではないかも、と思います。

 

「あれは嘆きの日記ではなくて

むしろ自慢のような」という

まひろの分析に同感です。

 

道綱の母についての考察は

いつか書きたいと思っていますので

その時はどうぞよろしく!

 


にしても毎回、画面の美しさに

うっとりしている私。

 

宮中や寝殿造りの御殿などでの

シーンでは前のめりになって

観ている。

 

ああ~平安装束の何という美しさ!

 

本当にあんな色だったのかな?

 

叶わぬ事とは知りながらも

タイムマシンに乗って

あの頃に行ってみたいわ~。

 


また来週も楽しみ。

サブタイトルは

「おかしきことこそ」

 

あれ?

枕草子は「をかし」の文学で

源氏物語は「あはれ」の文学だと

学校で習ったけど?

 

まさかまひろが「をかし」の

精神をききょうから奪って

しまうのか?

 

まさかね。

 

想像はここまでにいたしましょうてへぺろ