裳着はつまり・・・ほら女の子が「そうなった」という事なのよ | 前世はきっと平安貴族

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歴史大好き!とりわけ平安時代をこよなく愛する私です。
こんなに惹かれる理由はきっと前世で生きていたからにちがいない。
源氏物語ネタをメインに、色々思っている事を書いてゆきます。あらすじとか一切書かずに自分の思いだけを強引に綴ってゆきますので悪しからず〜。

現代の日本において、成人年齢は

男女ともに18歳とされている。

 

ちょっと前までは20歳だったのに

18歳に引き下げられた事に関しては

納得できない部分もあるのだが

まぁそれは置いておこう。

 

ともかく男子も女子も

同じ年齢で「成人」とみなしている。

 

しかしこれは

明治9年の太政官布告で

成人年齢(当時は20歳)というものを

定めたからであって

それ以前では特に決まりはなかった。

 

 

平安時代だってそう。

 

まず男子は「元服」

女子は「裳着」と呼ばれ

別々の儀式を行った。

 

そして年齢もバラッバラ!

早い人もいれば遅い人もいた。

 

 

さて、女子の成人式にあたる「裳着」。

これは、今まで公にしていなかった

女の子の存在を、広く世間に

知らせるためのもの。

 

特に身分の高い家となると

お姫様はお屋敷の奥深くに隠されて

育てられちゃうから、一族でさえ

その存在を知らなかったりするからね。

 

で、それを

「うちにはこんなお姫様がいるんだよ~」

とお披露目しちゃうのが裳着というわけ。

 

 

裳着の式って何をするかというとね、

正装した立ち姿のお姫様が

「裳」と呼ばれるスカートみたいな物を

装束の上から腰に付けてもらうのよ。

 

裳には腰紐が付いていて、その紐を

結ぶ人は身分が高ければ高いほど

お姫様にとってハクが付くわけ。

 

お姫様は「髪上げ」という

いつもとちょっと違うヘアスタイルを

して、初めてお歯黒を付けるのね。

 

あと、眉毛を剃って白塗りの

厚化粧をしてその上から「殿上眉」

という独特の形の眉毛を描くの。

 

これでお姫様は

めでたく大人の仲間入りよ。

 

 

その時の年齢は、大体10代前半が主。

 

通説によると、どうやら

初潮を迎えたという事が、

裳着を行う大きな理由の

ひとつになるとか。

 

 

つまり

 

うちにはお姫様がいるんでっせ~

 

もう初潮も迎えてまっせ~

 

だから結婚も妊娠も可能でっせ~

 

と、公にされちゃうのが裳着・・・タラー

 

 

これ、当時の女の子たちは

どう思ってたのかな?

「ふざけんじゃないわよッ!」とか

思わなかったのかな?

 

私としては、初潮という非常に

プライベートな身体の変化を

身内や他人に公開されるなんて

身の毛もよだつ行為なのだが。

 

そう、例えて言えば

「この子、初潮が来たのよ~」と

実名と顔写真入りでネットで

ばら撒かれるような暴挙だよチーン

 

 

でもこの時代は女の子自身も

素直に嬉しかったのかも?

 

普段お屋敷の奥深くにいて

どこにも出かけられない彼女達に

とって、一生の晴れ舞台である事に

変わりはないしね。

 

 

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さてさて

私が常々アヤシイと思っているのは

藤原彰子(一条天皇中宮)の

裳着の時期である。

 

 

彼女は12歳で入内した。

 

という事は、当然それ以前に

裳着の式を行っているわけで。

 

12歳で入内と言っても、当時の

年齢は数え年だから、満11歳か

へたすると10歳だった可能性も

ある。

 

おい、ちょっと待て!

 

10歳で初潮???

 

そんなんアリ???

 

現代ならともかく

栄養状態も決して良いとは

言えなかった

あの時代でぇぇ~~???

 

う~ん・・・

な~んか胡散臭いな

というのが私の率直な

感想だ。

 

 

これって父親の道長がさ、

彰子が大きくなるのが待ちきれなくて

無理矢理裳着の儀式を行った上に

入内させたんじゃないかな?って

思うよ。

 

本当に初潮を迎えたかどうか

なんて他人にはわからんもんね。

 

(実際そんな失礼な事、訊く人間も

いないだろうし)

 

やっぱりこれはね、当時

一条天皇の愛を一身に集めていた

定子様に対抗するために道長が

無理矢理行った事だと思うのよ。

 

 

何もそんな事しなくても

定子様は一年後に崩御されちゃう

のにね・・・。

 

まぁ私たちは後世に生きているから

この事実を知っているわけで、

当時の道長はなりふり構わずで

必死だったんでしょうね。

 

 

彰子はどんな気持ちだったかな?

この頃はまだな~んにも

分からない子どもだったから

言われるがままに儀式を行って

入内したのかな?

 

ずっと後になってから

当時の事を、もしかして

恥ずかしく思ったりしたかもね。

 

彰子はとても聡明なお姫様

だから、それは有り得るかと。

 

 

 

そういえば「源氏物語」で

玉蔓が裳着を行ったのは

20歳の時。

 

こんなに遅いのは当時としては

珍しかったと思うけど、

彼女の場合は色々な事情で

裳着の式をしてくれる人物が

いなかっただけで、決して

20歳まで初潮が来なかったと

いうわけではない。

 

光源氏の采配によって

ようやく世間にお披露目

された途端、玉蔓にはどっと

求婚者が現れる。

 

裳着の式というのは

それほどまでに影響力の

あるものだったのだ。

 

 

平安時代、その家が栄えるか

はたまた没落するかは結婚に

よるところも大きかったの

だろうから、適齢期の女の子が

いる事をお披露目する意義は

相当大きかったのだろうねぇ。

 

 

 

 

===追記===

 

女の子が初潮を迎える

年齢について調べてみました。

 

世界最年少記録は何と!

 

生後8ヶ月!!!!!

 

ペルー人のリナさんという方です。

(1933年生まれ。現時点で存命)

 

この方は「性早熟症」という

病気によるものなので、

いわゆる一般的な初潮年齢には

含まれない事をご了承願いますね。

 

 

 

あとね、私自身が13歳で迎えたために

10歳での初潮というのがとっても

早過ぎるかのような書き方をして

しまいました。

 

読んだ方の中で

「え?私は10歳だったわよ?」

「あら私なんて9歳だったけど?」

という方がいらして、もしも

不愉快な気分にさせてしまったら

ごめんなさい。

 

この記事はあくまでも「平安時代」

を想像して書いていますので

現代の基準とは違っているものと

ご理解していただけると助かります。

 

当時の女子の体格は現代と比べて

やはり小柄だったでしょうし、

いかに貴族といえども栄養学的に

満足な食事を摂っていたとは言い難い

事から、発育はあまりよろしく

なかったと思われます。

 

したがって初潮年齢も

今より遅かったのでは?と

勝手に推理しております。

 

至らぬ点はどうかお許しをパーあせる