精神障害と資本主義 | デブリマンXの行方

デブリマンXの行方

いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今日は精神障害を持つ人達が集まるイベントに参加してきた。

 

その中で、最近祖父に不幸のあった参加者がその経緯を話し、思い出し泣きをしていた。

そして、参加者の中にもそれに共感するように泣いている人の姿があった。

情動感染とか共感とか合わせているとかそんな感じではなく、本当にその内容そのものに泣いているという印象を受けた。それだけ泣き方が自然なのだ。

 

昨日紹介した以下の本、

に寄れば、最近の若者は悲しみを感じる能力が弱まっているらしい。

そして、精神障害者は非常にその能力が高い。

つまり、昔の人は精神障害者多かったってことだよ!!……っていうのはさすがに無理があるかな。

ただ、精神障害者の他人を見下す力は非常に弱いとは感じる。一緒に話などしていると、彼ら彼女らはどことなくふわふわしていて掴み所が無い。

 

彼らが純粋なのかは正直よく分かっていないが、健常者ほど他人を疑っていない可能性はある。

他人を疑う力が弱いと、はっきり言って資本主義社会では食い物にされてしまうだろう。

そして、現在増えている発達障害者も精神障害に含まれる。

綺麗事を言うことが弱さと言われる時代は、案外すぐそこにあるのかもしれない。