大衆文化の変遷 らーめん再遊記10巻より | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

 

長らく追いかけてきたラーメンシリーズもついに最新刊に追いついた。

本作はラーメンを軸に様々なことを考察する傾向があるが、この10巻では以下の問いに対して暫定的な結論を出している。

Q.現代の大衆文化において、どうして偽物のほうが大きな人気を獲得するケースが多いのか?

 

A.大衆文化における偽物とは、本物の良いところを抽出した誇張品であり、言わば本物のいいとこ取りをしたものであるから。

作品内ではロックやプロレスを例に、ラーメンを絡めて話をしているが、この結論は他にも様々な分野で活用できると感じた。

 

 

 

例えば、アニメである。

以前、上の記事を書いた時に、アニメを年代別に並べた。

らーめん再遊記の芹沢さんのセリフによれば、

1.そのジャンルがもっとも活性化し、人気がさらに拡大するのは、偽物から本物になる(独立した1つのジャンルとして認められる)過渡期にあるのではないだろうか?。

2.ロックで言えばビートルズが登場した以降の20年ほどがジャンルの黄金期である。

3.過渡期を経て完全に独立したジャンルとして本物になると、古参にとっては型にはまっていて退屈なものに思える。

ということらしい。

じゃあ、アニメ界にとってのビートルズは何かと思って心当たりを検索していくと、「ルパン三世 カリオストロの城」(1979年)ではないかと思った。

そこから20年後だと1999年であり、わたしの記事を振り返るとそのあたりは、

  • 「カードキャプターさくら」「1998年」映像技術適正

  • 「無限のリヴァイアス」「1999年」映像技術適正

  • 「犬夜叉」「2000年」映像技術適正

にあたる。個人的には妥当なラインだ。

 

しかし、wikipediaの内容をよく読むと、「カリオストロの城」は大衆受けしていなかったらしい。おそらく、「カリオストロの城」は当時時代の先を行っていた作品(らーめん再遊記10巻の内容で例えれば、宮崎駿監督が原田に相当している)で、それを理解できる人が多くはなかったということだろう。

その点を踏まえると、以下のページを読む限り、「宇宙戦艦ヤマト」(1997年)の方が大衆受けしたという点では優れているようだ。

 

 

つまり、大衆文化というのは、

 

1.どこかに黎明期があり

2.大衆受けさせるタイプの天才によって文化が広がり

3.以降20年程度の期間で急激に発展し

4.成功パターンを抑えた完成形としてまとまる

 

ということなのかもしれない。

この視点がいったい何の役に立つのか今はまったく分からないが、一番楽しい時期をクリエイターとして楽しむためには、迅速な行動が求められることは確かだろう。