教養としての世界の名言365 RCサクセション 忌野清志郎 | デブリマンXの行方

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この本の中に、ロックバンド「RCサクセション」の忌野清志郎さんが載っていた。

名言となっていたのは、「瀕死の双六問屋」という連載の一文。(音楽を含め、)世の中がどんどんくだらなくなっているといったニュアンスの一文である。この部分だけを切り取ってもよく分からないので、いずれは実際の作品を読んでみたい。

 

RCサクセションは名前は聞いたことがあったが、音楽を聞いたことは無かった。

CDを借りて聞いてみると、音楽番組で「雨上がりの夜空に」(1981年)は聞いたことがあった。「ザ・キング・オブ・ロック」の異名を持ったグループらしいが、現代人のわたしからすると「これがロック?」と思ってしまう歌だった。「ロックって何なんだ?」とか思ってしまったが、今となってはたぶん歌ってる側がロックだと言えばそれはもうロックなのではないだろうか?

ただ、当時の日本としては、RCサクセションがロックであったことは疑う余地がないようだ。

「教養としての世界の名言365」によると、"化粧"をして歌ったことで注目を浴びたらしいので、当時としてはかなり奇抜であったことからのロックということもあるのかもしれない。

 

歌を聴いた感じ、わたしが想像するロックに対して随分静かである。

「雨上がりの夜空に」はそれでもハデな方ではあると思うが、ロック=騒がしいであれば、現代の音楽なんて概ねハードロックか何かになってしまう。

印象としては、歌を聴かせるのがメインで、音楽の勢いに任せて聞き手を盛り上げるというのがそれほど強くない。聴いている感じは淡々とした歌が多いというか、歌詞も生活感が溢れるもの。デビュー曲「宝くじは買わない」は宝くじを買わない歌、ヒット曲「雨上がりの夜空に」は乗り物が雨に濡れて走れない、といった感じの歌。……ただ、後者の方は乗り物がなんで有るかは明言されておらず、そういう意味ではロックである。

 

わたしはアニソンから他の音楽に入った口なので、基本的には中身よりも勢いのある曲を好む傾向がある。そのため、1980年代以前の邦楽は今のところほとんど開拓されていない。忌野清志郎さんが「瀕死の双六問屋」を連載していたのが2001年辺り。当時のわたしの個人的な感覚からすると、邦楽としてはSMAPの「世界に一つだけの花」(2002年)、アニソンとしては玉置成実の「Believe」(2003年)が一つの節目だと感じたが、その頃に近い。というのも、この2曲は、雰囲気こそ壮大で明るく、ノリやすいが、歌詞の内容自体はそこまで壮大なことを扱っていないし、特別歌い手の感情が載ってるわけでもない。言ってしまえば、雰囲気の曲である。そういった意味で、わたしは邦楽では前者、アニソンでは後者が一種の完成形感じた。

もっとも、わたし自身はそういった曲が好きなのだが、まさにそういった曲はRCサクセションの音楽性の逆を行っている感じがする。

 

実際の音楽事情は詳しくないが、忌野清志郎さんにとっての素晴らしい音楽を聴く感性が自分には無いと思うと、少しばかり惜しい気持ちになる。