西部戦線異状なし 感想 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

 

名作映画DVDベストセレクションで買った作品。

原作はドイツの同名小説で、著者はエーリヒ・マリア・レマルク。

著者は1917年に第一次世界大戦の西部戦線に送られており、フランスでの塹壕戦を経験しているようだ。この映画は1930年にアメリカで製作されており、セリフは英語であるが、視点は著者が経験したドイツの西部戦線そのままのようである。

 

作品の特徴は、とにかく淡々と戦場を描写しているところ。

面白いと評価できるところは少なく、悲痛な戦場の場面が続く。

砲弾などによる唐突な死傷が多い一方で、戦線の塹壕に飛び込んでの白兵戦もある。白兵戦は銃を構える余裕もなく、ひたすらごちゃごちゃした殺し合いであるが、その手際の悪さがリアリティを生んでいる。

 

主人公の心情の変化が見所で、初めは愛国心に燃えて戦場に行ったものの、最終的には故郷にいる何も知らない人々に怒りを覚えるようになる。また、主人公の父親たちがパイプをふかせながら戦争について語る様子は、現在のウクライナ情勢を好き勝手に語る人々にピッタリと重なる気がする。そうして故郷に居場所がないことを悟った主人公は、"嘘偽りがない分戦場の方がマシ"という考え方に至っている。

 

ちなみに映画の中では「西部戦線異状なし」のタイトルの意味を読み取ることが困難であるが、原作小説には物語のラストでドイツ司令部報告として「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」という一文が出るらしい。ドイツがこの後に敗戦する様は、日本人としては全く笑えない。

また、wikipediaで調べてみると、ドイツの敗戦は当時「背後の一突き」と呼ばれたらしい。その内容は、要するにドイツ軍は戦って負けたのではなく、国内の反戦論者のせいで負けたというもの。その反戦論者の中にはユダヤ人も含まれており、これは明らかに後のユダヤ人弾圧に繋がっている。この辺りはまた機会を見てしっかりと学びたい。

 

 

「西部戦線異状なし」の内容はどう見ても厭戦感情を煽るもので、明らかに反戦映画である。まさかこの映画の後に第二次世界大戦が勃発したとは現代人であるわたしからはとても想像がつかない。見ている時は第二次大戦中のアメリカがドイツに向けて製作したプロパガンダ映画かと思ったが、年表を見る限りそういうわけでもなく、しかも原作がドイツなことに驚いた。

 

この映画が世界大戦前の日本でしっかりと放映されていたら歴史も変わったのではないだろうか?と思わせてくれる内容であるが、時代背景的には無理なのだろうなとも思う。こういった作品を見ていて常々思うことは、義務教育レベルの知識では何も知らないに等しいこと。長い歴史と変化の速い現代社会において、自信満々に生きていられる人は本来あり得ないのだろう。まあ、知らないが故の無限の可能性という子どもの如き特権を行使しているなら話は別だが。