ひきこもり支援、本人視点で対応 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今朝、このようなニュースを目にした。

そして、引きこもりの定義を見てみると以下のようだった。

その中から個人的な要点を抜粋すると以下の通り。

  • 「社会的ひきこもり」の状態は、何らかの理由で「元気」や「自信」がなくなっている状態です。その上、社会的経験が少ないという要因が重なっている方もあります。

 元気がない

何らかの理由で元気がなくなっている状態です。この元気がない背景には、こころの病や精神的に不安定になっている場合が考えられます。心を安定させるお薬の力を借りることで、元気が取り戻される場合もあります。

 自信がない

挫折体験やいじめなどの明確な契機の場合もありますが、むしろ小さなつまずきを何度も繰り返して自分に自信がなくなっている状態です。特に対人関係が苦手な方が多く、対人関係についての自信のなさがうかがわれます。

 社会経験や生活経験が少ない

どちらかというと内向的で、アルバイトなどの社会的経験が少ない場合があります。また、人づきあいも苦手な方も多く、もともと、人と接する機会自体が少なかったという要因が重なっている場合もあります。

Q4 「社会的ひきこもり」は「親の育て方が悪かった」から?

A4 どんな家庭にもあり得る状態です。「犯人探し」をしても意味がありません。

なんとかなって欲しい問題ではあるが、福祉の末端を見た人間の立場からすると大変難しいと感じる。少なくとも、夢のある会社経営のように、誰か1人の天才が立ち上がってどうにかなる問題ではない。個人のメンタルヘルスに関わる問題は、はっきり言って底なし沼のようなもので、単純な正義感で関わるとあっという間に呑まれて自分が自信を失い、「ミイラ取りがミイラになる」のを実感することになる。

 

じゃあ、どうすれば良いかと考えると、まずは要点を絞ることが大切ではないだろうか?

そもそも、引きこもりの何が問題なのかと言えば……というと一言では表せないし、かなりドライな内容になりかねない。ただ、引きこもっていても問題にならないケースはあると思う。要は、経済的に自立していること、それだけである。引きこもりが問題になるのは、その周りにいる人にとって経済的・精神的負担になるからであるが、前者を自力で満たすことができていれば、引きこもりは個人の自由ということ丸くで収まる。それが気になる人は、自分の価値観を押しつけているだけではないだろうか?

つまり、無理に外出を強いる必要は無く、室内でできる仕事を提供できれば、一定数の人の自立に役立つような気がする。

 

ただ、そこに関わる人は、できればボランティアがよいと思う。

なぜなら、給与が発生する仕事でそれを行うと、義務感が出てくる。

引きこもりを外に出すのは大変困難なことで安定もしないものであるし、そんなもので個人の成果を測るとこの世の地獄ができる。

(健全な)ボランティアであれば、少しでも無理だと思えば距離をおくことができる。なんなら、正式な団体としては行わず、地域の集まり程度でできるのが理想。

しかし、それはやっぱり理想なので、やはりどうにもこの問題は難しい。