オワハラ 就活終われハラスメント | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

 

 

ハラスメント用語が多様化している昨今、「モラハラ」とか「パワハラ」とかなら何となく内容に想像がついたが、ついに全く想像がつかない単語を目にした。それが「オワハラ」。調べてみると、どうやら「就活終われハラスメント」の略らしい。

 

つい最近まで就活していたわたしからすると、単語だけ見れば夢のようなハラスメントであるが、実際こういうことを仕込んでくる会社は辞めた方が良いと、わたしの転職・就活経験が告げている。結局のところ、続かない会社は、面接・会社・社員の雰囲気に何かしら引っかかるところが出てくる。

 

理想を言えば、一度でも「ん?」となったところはできれば控えたい。そこでどうして「ん?」と感じたのかは、考えなくて良い。その「ん?」は、その理由を理解するためにかなりの期間を必要とする。実体験として、わたしは自分の保育士とその業界、さらには福祉全体との相性の悪さを確信するまでに4ヶ月掛かった、そして、未だにその理由をわかりやすく人に説明するのは困難である。

 

とは言え、ニュース等で話題になっているのは多くの場合、新卒キップを持った学生だろう。

わたしも当時そうだったが、やはり「卒業までには就職を決めたい」というプレッシャーがある。今となっては、卒業後に数ヶ月の空白があっても、時間を掛けて探した方が良いと思うが、当事者にそんな判断を求めるのは無理である。つまり、オワハラとは、そういう学生の足下を見た行為だと言える。

 

オワハラに対する学生視点の模範解答は、「わかりました」とだけ言ってあとは黙秘することだろうか?

理想を言えば内定を蹴った方が良い気もするが、大手企業なら数年のうちに改善されることも見込める。そのあたりの判断は、当事者の学生がするしかないだろう。

問題は、そういった建前を使えない学生である。そういう学生は、その場で内定を蹴った方が良いとすら思う。というのも、そういう流されやすい、世間知らずの学生こそ、組織が求める若手と言える。問題は、そういった若手に適切な仕事を振ることが出来ず、精神的に潰してしまう・潰れてしまうことであり、総合的に見ると学生自身・組織の双方にダメージだけが残る。もっとも、後者については「今年の若手も○年もたなかったよww」程度の被害で済むかもしれないが、学生は社会の汚い部分を知ったことでトラウマを負うことになるだろう。

 

オワハラに対する組織視点の模範解答は「オワハラやめて、正々堂々競争します」という他ない。というか、そもそもその組織が他社と比較して魅力的なら、内定辞退などされないはずである。もちろん、通勤時間やら仕事への拘りとか、学生側の問題で内定を辞退されるケースはある。しかし、本当に魅力的な組織であるなら、その空いた枠に多くの求職者が我こそはと身体をねじ込んでくるはずである。どんぐりの背比べではなく、圧倒的な魅力で人を募ることが求められているのではないだろうか?

 

という風に書くと、「そんなことはできない。お前は世間を知らない」というように返ってきそうだが、そもそも若者にとって魅力的な組織というのがあまりにも少ないのである。若者にとって魅力的な組織というのは、要するに責任がほとんどなくて待遇が素晴らしい、大手の下っ端だと思う。だから、求人が上手く集まらないのはある意味当然と言える。


もう少し具体的に魅力的な組織を考える。

上記のサイトから抜粋すると、働きやすい職場とは、要するに以下の通り。

  1. 人間関係が良好である
  2. 出産・育児への理解がある
  3. 残業がなく、有給が取得しやすい
  4. コンプライアンスがしっかりしている
  5. 自分のペースで働ける
  6. 能力を認めて仕事を任せてくれる
  7. 社内の風通しが良い

見てみると、まあある意味当然の内容の気もするが、欠点を上げるのであれば、これらは全て実際に組織に属してみないと分からないという点である。いくら求人票に明記してあったり、優良企業認定とかされてたり、先輩社員の素敵な笑顔がホームページに載っていたりしても、その実態は実際に入ってみないと分からない。

 

例えば1の「人間関係」であるが、陽キャしかいない組織に陰キャが入ってそれが保たれるかと言えば、大変怪しい。先輩陽キャが素晴らしい人格者ばかりで、陰キャも陽キャに変えられるような素晴らしい風土があり、1年もすれば満面の笑みを浮かべた若手の陰キャがホームページに載っている……みたいなことがあれば良いが、そんなのはわたしの人生経験からすると想像しただけで頭痛がする。はっきり言って、人には向き不向きがあり、向き不向きで分かれていくとそこにいる人達はだいたい似通った特徴を持ってくる。例えば、新卒の学生が組織に求めているのは、都合の良い友達のような距離感ではないだろうか?社会の厳しさを知りたいと思っている人に関して言えば必ずしもそうとは言えないが、1の「人間関係」、7の「社内の風通しが良い」を考えると、そういったものが求められると感じる。もちろん、大前提として求められるのは立派な人格を持った有能な上司の存在である。そして、そんな立派な上司はオワハラなどするだろうか?少なくとも、オワハラをするような存在に憧れる若手はいないだろう。

 

オワハラをするということは、それだけその企業が、(少なくとも人員の補充については)上手くいっていないことの証明である。そして、その上手くいかない原因を取り除くことが困難なのである。それが原因で、人手不足による黒字倒産ということもあるかもしれない。たとえそうなったとしても、それを新卒の学生が入ればなんとかできると思っているのであればそれは勘違いである。新卒の学生は世間知らずかもしれないが、その職場の常識もしらない。その職場の常識を教える余裕もないのであれば、新卒はすぐに既卒として転職市場に出る。つまり、オワハラは組織の自転車操業を助長する行為でしかなく、根本的な問題解決には繋がっていない。その組織が持っている致命的で目を背けたくなるほど汚い部分をなくすことができなければ、誰も幸せにはならないとわたしは思う。