無職生活19日目 一時的な燃え尽きのような何か | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

 

 

昨日の面接が終わったことで、一時的にやることがなくなり、燃え尽きたような感じがする。

経験から察するに、おそらく落ちた場合に備えて心が予防線を張っているのだと思う。

今回の面接は振り返って見てもかなりベストに近かった分、それが通用しなかった場合のダメージも大きいものが予想される。

今では「就活鬱」という言葉もあるそうだが、まさしくそれだろう。

就活なんて運であることは理解しているが、自分の実力が成果に繋がっている以上、その失敗の責任を自分の実力に求めるのは当然である。

 

そして、雇用する側の考えも当然ある。

なんせ、一度雇用したら簡単にはクビに出来ない以上、その選考は慎重になる。まして、30歳は一般的に世間知らずの若者ではない。前職の経験が結果的にミスマッチを引き起こすことがあることを、わたしは保育士時代に経験として学んだ。

そうなると何度も落選した人は、就職のハードルを下げ、本来は潰れるべき自転車操業状態の会社へ吸い込まれていく。

 

こういう論を展開すると、よく「資格を取って市場価値を上げる」とかそういう話になりやすい。しかし、現場というのは本当にその現場について知らないと仕事にならない。資格うんぬんではなく、現場で使えるか否かに終始する。だから、近年のデータでは、新入社員には実力や責任感よりもコミュニケーション能力を求める。なぜなら、上司や先輩から仕事を聞き出さなければ、そもそも仕事はできないからである。そしてこの能力は、1つの資格を取るためだけに一生懸命になっているような人には得てして備わらない。ルックスと同じで、予め当然のように持っていることで、採用率が数%上がり、他の入社希望者と差がつくといったものだ。もちろん、持っていれば数%上がるので、持っているに越したことはない。問題は、そこへ投資できる金銭的・精神的・時間的余裕がどれほどあるかという話。その数%のためにどれだけ賭けられるだろうか?

 

最近はよく「自分の得意なことを探して仕事にしましょう」みたいなフレーズも多いが、あの生き方は相当に情報資源に恵まれていないとできないだろうし、それを生かすための知識が前提として要求されている。また、誰でもできることではないことを、一握りの成功しているように見える人々を使って扇動するのは如何なものだろうか?

「失敗しても生活保護があるから大丈夫!」みたいな論理を出す人も居るが、その人は一般庶民からすれば、急激な生活水準の低下は死と同義ということを分かっていない。

衣食住はあり、欲しいのは(そんなものは現実にはありえなくとも幻想としての)将来の安心なのだ。自己責任の中のギリギリの緊張感の中で自分が生きていることを実感するアニマル・スピリット旺盛な一部の方々の論理を広げられたところで、そんなものには同調できない。だから、この話は終わっている。

 

……なんか愚痴ばかり書いていたら共産主義ばりに赤だらけの内容になってしまった。

こういう上記の様なことを考えた過激派が共産主義に傾倒して武力闘争とかするのかもしれなけど、もちろんそんなつもりはない。わたしだって自分が納得の行く仕事につけたら「面接なんてクソ!」とかは言わない。面接官になったら平然と「この子は駄目かな~」とか言って落とすこと間違い無しである。

 

じゃあ、問題はどこにある?

それは難しい質問だけど、取り敢えずすぐやって欲しいことと言えば、

ハローワークと求人サイトは明らかにおかしな求人と評判の悪い企業の紹介を止めて下さい!!

求人票に書いてあることを守れなそうなところがあまりにも多すぎる!!

まあ、後者はクソ企業に歯車送るのが効率的なビジネスになり得るから100歩譲って仕方が無いとしても、ハローワークは利用者からの報告でアレな企業のブラックリスト作って求人者を守ってくれないだろうか?

求人出しているところが信用できる会社ばかりなら、求職者だってもっと「自分の得意なことを探して仕事にしましょう」ができるでしょうに。