株主 経営者 労働者 丁稚奉公 株主総会 | デブリマンXの行方

デブリマンXの行方

いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

 

 

無職生活が9日目に入り、保育士時代にはできなかったやりたかったことも概ね消化。

そうなると、この自由な時間をいかに活用していくかが重要になり、現在はその生活ルーティンを構築している。

 

その生活ルーティンの1つに、「経済を学ぶ」があり、現在は上記の本を読んでいるところ。

元は、ホリエモンの書籍「お金や人脈、学歴はいらない! 情報だけ武器にしろ。 (ポプラ新書)」の中で紹介されていた本である。紹介者:ホリエモン+著者:竹中平蔵という、少なくない日本人が嫌悪感を示す組み合わせであるが、わたし自身もすでに日本人的な王道から外れて逆張り路線を進んでいる身なので、学ぶところは大いにあると考えている。

 

今はまだ56ページまでしか読み進めていないが、今のところ竹中氏の言っていることは至極普通である。本著は2002年というすでに22年前の書籍であるが、今のところの内容は現代でも遜色がないと感じる。経済の本質的なことについて話していることと、アベノミクスやコロナ、ウクライナ問題という大波乱があっても、庶民レベルでは日本経済が停滞しているとしか感じられない現状があるからかもしれない。銀行の金利も相変わらず不健康で、わたしの世代は「銀行はただお金を預ける場所」という習慣だけ残ってしまい、銀行にお金を貸しているという感覚は、そもそもないだろう。

 

今読んでいる章は「株の話」。

要するに会社は株主の持ち物で、株主が経営者を雇い、その下で労働者が働いているというもの。

理屈はそんなところであるが、ここまで読み進めた上で2つ考えたことがあったので、それをメモしておく。

 

1つ目は、「滅私奉公する労働者の価値」について。

一応、現代の会社と労働者の関係は法律上対等であるはず。つまりは会社が労働者を募集して、そこに「これこれこういう条件なら働いてやってもいい」という労働者が現れ、お互いにビジネスライクな関係を築く、という構図……のハズである。

しかし、現実には、会社が労働者を募集して、そこに「なんでもやります!ここで働かせて下さい!」という労働者が現れ、会社の無理難題を我慢してこなす、という構図ができあがっていると感じる。

これは、結局のところ日本の労働市場は法律の上ではなく、伝統的な丁稚奉公的の働き方がそのままスライドしてきた名残であると感じる。丁稚は「学のない若者が職人の元でタダ同然に働いて、その技を盗んで独立する」ようなものだとわたしは思っている。現代社会は学があったとしても、専門的な知識を身につけたとしても、現場では伝統的なやり方が続いているため、ただの頭でっかちになって役に立たないと思われている。なので、専門上・法律上正しいとされている知識を身につけても、結局その会社のローカルルールを学ぶ丁稚として働くようになりがち、というのが認識として正しいのかもしれない。この辺りは、法律が海外の雇用制度を参考にしているのに対し、日本の職場がそれに合っていないのが原因かもしれない。

ここからが本題だが、滅私奉公する労働者のいる会社で一番得するのは誰か、という問題。労働者は時間を金に換えているのだから、その労働者が金も気にせず「この会社で働き続けないと死ぬ!」という気持ちで働いている場合、一番得するのは誰か?

それは当然株主である。次点で、労働者を酷使して実績を上げた経営者だろう。つまり、「滅私奉公する労働者」というのは、錬金術に使える賢者の石であり、とても価値がある存在であるということ。労働市場というのは、その多くの場合、長く使える賢者の石の取り合いをしているということである。

日本においては再就職が難しいというのはもはや自明であるが、「本当に専門的で価値があるもの」か、所謂「クリエイティブ」でもなければ、労働市場が求めるのはその丈夫さ以外に何もないということになるのだろう。

この労働市場においては、わたしのような柔らかい賢者の石の価値はほぼない。しかし、賢者の石は「労働者としての価値」である。株主、経営者、労働者の中で、賢者の石である必要ないのは株主であり、株主の価値は個人の能力ではなく財力によって保障されている。つまり、無能が目指すべきは、一流の労働者でも一流の経営者でもなくて、無能な株主と言えるのではないだろうか?

おそらく、能力を磨いて一流になるよりは、財布の紐を縛った方が楽ではないかと思う。

 

2つ目は、「株主総会」について。

この本の55ページに、「日本では株主総会に誰も来ないというのを前提にしている」という文章があった。わたしは一応とある株の株主で、株主総会の通知も来るのだが、言われてみると株主総会に行ってみようと思ったことがなかった。理由は簡単、総会の日が平日で働いているからである。今は無職なので、それまでに仕事が見つからなければ株主総会に行けるな、と思った。正直、素人が行っても面白くないんだろうな、とは思うが、知見を広げるという意味ではありだと思った。

 

文章にしてみると内容が広がってしまったが、はっきり言ってわたしのような一般庶民は、経済の仕組みが全く分かっていないのではないかと思う。今更ながら、情報社会というのは、現在の世の中の仕組みを理解していて初めて自由に動けるのではないだろうか。世の中の仕組みは油断している内にどんどん変わっている。泥船に乗船していても、いざという時のために、自力で泳ぐ力を身につけておくことが大切なのだと思った。