オッペンハイマー 感想 映画 2023年 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今日は月初めということで、映画が割引で見ることができる。

なので、何年かぶりに映画館で映画を観ることにした。

観た映画は最近話題の「オッペンハイマー」。

観た理由は何か日本人受け悪そうだから。原爆とかじゃなくて、雰囲気が暗くて内容が難しそうなところがね。なんでわざわざ日本人受け悪そうな映画を選ぶのかと言えば、最近のウケの良い映画はだいたい雰囲気だけということを映画「君の名は。」で学んだからである。まあ、「オッペンハイマー」はそれ抜きで興味あったけど。

 

 

感想を簡単に言うと、長い・暗い・重いである。

 

長いは、文字通り時間が長い。

休みなしで3時間。原爆実験が成功しても、その後に45分くらい話が続く。「原爆の父の映画」を見に来た人にはその45分はよく分からない消化試合に感じるかもしれない。わたしも最後のアインシュタインとの会話以外、それほど重要なイベントに感じなかった。

1時間目はオッペンハイマーがマンハッタン計画に参加するまでの話。2時間目はロスアラモス編で、この作品の中で一番見やすく、分かりやすいところ。3時間目は赤狩り編で、正直話がよく分からなかったが、大切なのは赤狩りの嫌がらせではなく、オッペンハイマーの原爆観だろう。

 

暗いは、全体の雰囲気。

終始暗くて明るくない。

オッペンハイマーに子どもが出来ても暗いし、マンハッタン計画が成功しても暗い。

楽しそうなシーンでも、必ず誰かがしかめっ面である。

この映画のジャンルは、「ホラー/歴史映画」らしいが、たしかにホラー映画である。

言うなれば、ホラー映画でホラーなことが起こる前の雰囲気がずっと続いている感じだ。

じゃあ、ホラーが何も無いかと言えばそんなことはなく、出来事の捉え方で恐怖を感じることが出来る。原爆が世界を焼き尽くすイメージはホラーだが、わたしとしてはマンハッタン計画成功後に、オッペンハイマーが賞賛されているシーンが一番ホラーである。やはり日本人としては、原爆で多くの人命が失われたことを賞賛するシーンというのは大変恐ろしい。とは言え、それは敗戦国の理屈で、戦勝国であればまた違うのも自明。真珠湾攻撃で日本が勝っていたら、やはりそれは賞賛されただろう。そういう視点に立てることが、この作品の最大の意義であると思う。

 

重いは内容である。

まず、作品の用語を理解する上で必要な知識が多い。

中学生レベルと言われればそれまでだが、その中学生の知識をしっかりと身につけている視聴者がどのくらいいるだろうか?

また、時系列が頻繁に飛び、会話の切れ目もほとんどないため、その度に脳内で出来事を整理する必要がある。正直、時系列をあそこまで混ぜる必要があったのかはよく分からなかった。映画「ラストエンペラー」も似たような表現だった気がするが、ビフォア・アフターを行き来することは、歴史映画の表現としてそれほど有効なのだろうか?

 

オッペンハイマーの人物像についてだが、「ハンバーガー屋の経営は出来ないが、マンハッタン計画と女遊びはできる(ただし、後悔する)人」という印象を受けた。

マンハッタン計画もそうだが、妻と不倫相手に対しても成功(性交)を収めるオッペンハイマー。しかし、その全てに後悔する要素が含まれており、その度に追い詰められている。この点は、成功が人生の全てでは無いということを庶民にも伝わりやすい形で表現していたと感じる。対して、作中でオッペンハイマーを「泣き虫」と称したトルーマン大統領はその辺りが実にタフである。映画「アメリカン・スナイパー」の主人公も、「自分が殺した相手に対して負い目は無く、その理由を神に説明することだってできる」とかなんとか言ってたくらいタフであるし、命をいかに重く捉えないかが戦争・政治をする上では大切なのだろう。現実世界ではプーチン大統領はまさにそれだが、他の国だって国益のためなら多少の犠牲はやむなしなのが現実だ。オッペンハイマーのように後悔して前に進めないことは弱さなのか、それとも強さなのか、という点については考える余地がありそうだ。

 

最後に、この作品のメッセージであるが、やはり「力について改めて考えて欲しい」というものではないかと感じた。

作中では、原爆の次の兵器として水爆の研究が進められる。つまり、新兵器開発の軍拡競争が続くのである。原爆で十分人類を滅ぼせるのにだ。その先に何があるのかと言えば、たぶん何も無いだろうと思う。作中の演出を見る限り、水爆研究の発端は知的好奇心であり、つまりは人の知的好奇心を満たした結果として新兵器が誕生するということだ。その知的好奇心をもっと有意義な方向に使うことはできないのだろうか?

また、作中では、原爆実験のリスクとして「大気への引火」が上げられていた。大気に引火すると地球上が焦土になるという仮説だったが、科学者達はそれを鼻で笑った。しかし、オッペンハイマーは最後までその可能性が0ではないと考えており、結果的にそれは間違いではなかったと悟ることになった。

力を手に入れた代償は必ず払わされている。現在のスマホがそうであり、これからのAIもそうだろう。

人類はすでに人類を滅ぼせる力を手に入れている。核保有国には、すでにそれ以外の用途がないほど大量の核兵器がある。それほどの力に何の意味があるのか。まあ、一庶民が考えることではないが、オッペンハイマーをみれば、力が人の幸せを保障するものではないことだけは明らかだろう。