ゆるやかな貧困から脱出するためには | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今日、ブックオフの漫画コーナーを見ていたら「東京貧困女子」という漫画が目に止まった。

読まなくても内容に察しは付いたが、1巻を手に取って、その中の1,2ページ程に目を通すと、案の上の内容だった。しかし、その内容が具体的できつい。わたしはそれ以上読み進めることができなかった。わたしが見たページでは、主人公が彼氏から「将来のことを考えるなら部活を続けた方がいいよ」と言われているシーンだった。主人公は国立医大の学生らしいが、部活のコミュニティは就職後にも大きな影響を与えるらしく、続けた方が良いとのこと。

この内容を見てわたしが思ったことは、わたしは大学に行ってもこんな高い意識は持てなかっただろうということである。

 

先日、消防団の旅行でキャバクラに同伴したが、その時にあった大学2年生の女の子は台湾留学を経験していて就職先を日本にするか台湾にするか悩んでいたらしい。

まず、このエピソードから分かるわたしの常識とのギャップは

1.海外留学・就職はある程度のレベル以上では当たり前に視野に入っていること。

2.そんなレベルの女の子が(おそらく、効率が良いから)キャバクラで働いていること。

わたしがこれまでの人生で受けた教育であれば、2については非難されてもおかしくない内容である。それが、自分で物事を判断できる子になると選択肢の1つになっているという現実がそこにあった。わたしも理屈では選択肢に入ることを理解できているものの、何か納得できないものがあることを否定しきれないでいる。これは、もしかすると昭和脳がデジタルを忌避するのと近い感情なのかも知れない。役に立つが、好きじゃ無い。

 

 

東洋経済オンラインで上記の記事を見つけた。

この中の4ページ目以降に「非正規雇用の図書館司書として働く37歳の女性のケース」というのがある。

この中でわたしにとって衝撃的な一文があった、それが以下の内容

不安しかない日々に悩んだ結果、学芸員の資格を取得しようと、通信制大学の科目履修生になった。中村氏によると、公的機関の非正規雇用に悩み、貧しさから抜けたいのに学芸員の資格取得を目指すというのは、真面目で貧しい人の行動パターンなのだそうだ。

まず、図書館司書という選択肢だが、わたしの転職活動の中でかなり早い段階で出てきた選択肢の1つである。

自分は「読書が好きだから~」という理由で選択肢に入ったが、おそらく司書が務まるほどには本が好きではないことと、そんなに魅力的では無い仕事内容に対して正規職員になるハードルが高いことから選択肢から外されていた。

しかし、恐ろしいのはこれだけではない、わたしは2ヶ月に1回程度メンタルヘルス系のボランティアにサブスタッフのように参加しているが、そこの利用者の男性と「もしも転職するなら」みたいな話をした際に、男性から提示された職業、それが図書館司書だった。

つまり、今、わたしの周りには貧困マインドに陥っている人間が多く、私自身片足か全身を突っ込んでいるのである。

 

また、東洋経済オンラインの記事の1ページ目には、「東京貧困女子」の著者が介護職に転じた内容が書いてある、それを一部抜粋したのが以下の文章。

介護という福祉事業に逃げれば、醜い諍いから逃れられると思っていたが、介護の世界はそれまで見たこともないような困窮した人々の巣窟だった。

これは、わたし自身が今保育の仕事をしていることと重なる。また、著者が介護職から身を引くこともわたしと重なる。

また、6ページ目にある

いったい日本は、東京は、どうなってしまうのだろうか。

たぶん、どうにもならない気がする。

国民の誰かを転落させなければ国がやっていけないならば、どこかのタイミングで女性から中年男性にシフトチェンジするかもしれない。私自身、取材で出会った彼女たちと遠くない未来の自分の姿がダブって怖くなった。(335ページより)

という結論も、わたしの現在の結論と重なるところが多い。

この記事は約5年前のものであるが、遅ればせながらわたしの持つ貧困問題の知識もそこまで辿り着いたということになる。が、この記事のおそろしいところは、これがコロナ禍の前であることである。

コロナ禍になると、生理用ナプキンが買えない女子というのが話題となった。そして、わたしの通った大学では、整理用ナプキンの無料配布を行っていた。そんなレベルの貧困女子でさえ、私立大学に入学しないと未来の無い人生を送っているのである。

幸か不幸か、保育科に来る女の子というのは実家がしっかりしている子が多い。明らかに精神的に怪しい子が2,3人いたが、貧困由来かは分からなかった。まあ、当時貧困についてはそこまで考えなかったのが事実である。しかし、社会福祉を担当していた教授が「どんなに苦しくなっても生活保護があります!」と力説していたのは印象的で、おそらく学生の何人かはそこに転落する、あるいは元学生が転落した上に生活保護を利用することなく……、とか、そんな実感のこもった内容であった。

 

わたしが現在第一希望に掲げているTP社。

一応、上場企業の傘下であるのだが、おそらくそこに入社したからといってわたしは貧困から抜け出すことはできないだろう。24365勤務なんて、仕事としては路上の靴磨きのようなもので、典型的な誰でも出来る仕事と考えて良いと思う。

それでもわたしがIT系を目指すのは、明治維新後、立身出世を目指した若者たちのように、自分の実力で這い上がる必要性を感じているからである。でないと死ぬ。ゆるやかな貧困は、真綿で首を絞められるようなもので、気がついたら湯で蛙ということにもなりかねない。

「サル化」する人間社会を地で行くのは気が引けるが、そうしないと生きられない世の中が目の前に広がっているのかもしれない。

「そこまでして生きたい?」と思われた方は、そこまでして生きたくなかった人々に思いをはせてみて欲しい。そこまでして生きたくなかった人々を救うには、たとえ国力を総動員しても容易ではないから。