大人の世界 子どもの世界 | デブリマンXの行方

デブリマンXの行方

いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

今ふと「大人の世界と子どもの世界」について考えた。

というのも、この2つの差というのがあまりにも開きすぎているような気がしたからだ。「何を今更当たり前な」と思われるかもしれないが、その当たり前という曖昧な刷り込みが多くの子どもを混乱させているとわたしは当事者として思う。

 

例えば性についての問題。

近年は学校関係者が性教育について話し合っているという話題を目にすることがある。子どもが正しい性知識から離れてしまい、トラブルが増えているためだろう。義務教育の中で子どもが性に触れるのは保健の授業で「精子が~卵子が~」と学ぶだけである。当時のわたしは子ども心に「つまり、どういうこと?」と思ったことを覚えている。

これはわたしの憶測だが、性教育というのは各家庭における躾の一環だったのではないだろうか?

「何を今更当たり前な」と思われるかもしれないが、わたしの性知識の大半はインターネットで学んだものであることが事実である。つまり、大人として当たり前に身につける知識は運良く入って来ただけなのだ。

 

他にも、冠婚葬祭の細かいルール、正装をする場面について、その他もろもろ。

とにかく、誰かが教えてくれるか自分で気が付くかしないと得られない知識である。

これらの何が恐ろしいかと言えば、多くの大人が「何を今更当たり前な」と思い込んでいることである。

要するに、知らなければ「こいつバカだな」で終わらされてしまうのだ。

自分が普通で一般的な全知全能の人間とでも思い込んでいなければ、そんな考えには至らないはずなのだが。