歴史教育よりも世代教育? | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

昔の会社は5時で終業時間となり、赤提灯でゆっくりと一杯飲んで7時前のナイター中継が始まる前にはもう家族で夕食を食べているのが普通でしたが、今では7時を過ぎても仕事をしているところが多いのは何故?

 

以前とある記事にメモ的に貼っていたQuoraの投稿。

この投稿に対する回答のトップにいる熊谷博氏の内容が実に分かりやすく世代の価値観をまとめていた。

 

世代の価値観というのははっきり言って宗教のように根深いものであるとわたしは考えている。というのも、わたしは1993年(平成5年)生まれだが、子どもの頃は普通に生活すれば普通に就職して普通に結婚して普通に子どもが出来て普通に家を建てて普通に暮らすことができると思っていた。クレヨンしんちゃんの野原ひろしは社会人の最低ラインだと本気で思っていた(たぶん、ひろしに父親としての威厳が感じられなかったからだが)。もしかすると、Z世代はそんなことができるのは親ガチャに大勝利した人間の特権くらいに感じているのかもしれない。それも、その世代の価値観と言えるだろう。

 

要するに何が言いたいのかというと、世代間の価値観の違いを正確に理解し、溝を埋めることが、実は何よりも大切なことなのではないか?ということである。「昔はこうだった、ああだった」と言われることが社会人になるとよくあるが、それを語る年齢層は同じだろうか? 年齢が近ければ近いほど人生経験も近い可能性は上がり、ギャップも少ない。それが10年20年と離れてくると通称宇宙人と呼ばれることもあるくらいに離れてしまう。思えばわたしが最初に勤めた会社は、一番歳の近い先輩の年齢が自分の倍だった。子ども心にはわからなかったが、先輩からするとわたしはさぞ宇宙人だったことだろう。

 

世代間の溝を深めるツールとして、ITは非情に大きなツールであり、場合によっては世代間が断絶される。とりわけ上意下達の場合、年下の方がITに詳しいが故に人間関係に歪みが生まれることもあり得る。ITの発展はすさまじいので、その溝や世代間の差も激しいだろう。かく言うわたしも、未だに1GBは大容量で、USBの容量が8GBもあれば何を入れて良いのかわからない。今の若者は湯水のように容量を使い、それを節約するくらいなら容量をとにかく増やすのではないだろうか?

 

現代における世代間の溝(ジェネレーションギャップ)は、わたしたちが思っているより深刻な状態に陥っているのではないかと思う。もしかすると、価値観が開きすぎていて本当に話が通じないということもあるのかもしれない。そうなると、最後に信じられるのは自分だけということになるのだろうか?