他の子どもから影響を受けることによる発達 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

1つ前の記事で3歳児神話という死語を使い、ネガティブな内容をまとめた。

その内容の中に、普段わたしがネガティブなことばかり言っている保育園についてポジティブな解釈ができる要素があったのでこちらにまとめておく。

その内容は以下の部分である。

また、先日、全国保育士会が発行している「保育士会だより(2023.11 No.317 November)」に内田伸子教授(お茶の水大学名誉教授 兼 環太平洋大学教授)の「AIに負けない力を育む保育の実践」という記事が掲載されているが、それによるとコロナ禍を経験した園児の内、3~5歳は平均4.39ヶ月の発達の遅れが見られたのに対し、1歳~3歳の子には明確な発達の遅れがなく、運動や手指の操作、抽象的な概念の理解、対子ども社会性、対成人社会性などはむしろ発達が進んでいるとのこと。

ここで強調されているところは1~3歳の子に対するものであり、3歳児神話仮説の肯定材料ではないか?という風に話を進めた。

今回は、3~5歳は平均4.39ヶ月の発達の遅れが見られたの内容について考察する。

 

この記事の内容に従うと、3~5歳の子の場合、家庭で過ごす時間が多くなると発達が遅れると解釈できる(元となる記事内には「保育所に行けなかったことや、保育所での活動が制限されたことによる保育環境の変化」「保護者にうつ病の傾向がある場合には、5歳時点での発達に悪影響が増幅される傾向が見られた」とある)。

なぜ発達が遅れるのかを考察すると、わたしの推察では観察学習量の低下が最大の要因である。

 

人というのは周りを真似て(観察して)成長する生き物である。身近に自分の発達段階より少し上の子がいる環境だと、その子を真似て発達が早くなる。兄弟がいる場合、兄姉よりも弟妹の方が発達が早いことが多い。年子の場合、それはよりはっきりと感じるのではないだろうか。

 

1~3歳の子の場合は、自分の世界が強いため、周りの子に関心が向きにくいことから、観察学習があまり行われていない。そのため、コロナ禍で家庭で過ごす時間が長くなることは、他の子との関わりはなくとも、保護者とのアタッチメント形成という最重要課題だけは取り組めたので問題はなかった。対して、3~5歳の子の場合は、身近に発達のモデルとなる子がいなかったため、発達が遅れやすかったのではないかとわたしは考えた。

 

少し前の日本では、今で言うところの虐待の一部は、当たり前のしつけであった。それでも、その中で育って来た人たちの発達が現在ほど問題視されなかったのは、身近に他の子どもたちが多く、発達のモデルを得られたことが1つの要因ではないだろうか。