現代型うつ病 非定形うつ病 | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

昨日、ネットで調べ物をしていた時に見つけた「現代型うつ病」と「非定形うつ病」。これを見たとき世の中には便利な言葉もあるものだと思った。確証バイアス万歳!

とはいえ、わたしがこれに当てはまっているのかと言えば少々首を傾げる。ASDの症状を見たときほどのフィット感は感じなかったからだ。なのでまあ、現代の若者なら大なり小なり当てはまるのだと思う。

 

 

昨日わたしが読んだ記事の中で一番納得できた内容が上記のサイトの説明。

中でも、以下の文章はなるほど感じた。

一見わがままに見えますが、根底に「生きていても仕方がない」という深い悲しみがあって、つらいことや嫌なことから避けようとして問題行動を起こしていると考えられるのです。

「わがまま」であることと「生きていても仕方がない」がどうして繋がるのかが分からない方も多いと思うが、要するにつらいことや嫌なことをするくらいなら死んだ方がマシだということ。なぜなら、自分の命がそれほど大切だと思えないから。死に対する恐怖がないわけではないが、これから続く長い人生に怯え続けるなら、一瞬の死を選んだ方がマシなのだと思う。若者からすれば、そっちの方がコスパがいい。

 

原因は何なのかと言えば、保育の世界だとアタッチメント(愛着)の不足で説明ができる。物心つく前の親からの愛情や物理的な接触・コミュニケーションが不十分で、自分が価値ある存在だとは思えないのである。精神的な自立は飽きるほど親に甘えることで得られるが、その点に関して現代社会は絶望的と言って差し支えないと思う。

 

 

より細かい持論は上記の記事に書いてある。久しぶりに読んだが、わたし自身の精神状態がアレなこと以外は今も変わっていない。また、先日、全国保育士会が発行している「保育士会だより(2023.11 No.317 November)」に内田伸子教授(お茶の水大学名誉教授 兼 環太平洋大学教授)の「AIに負けない力を育む保育の実践」という記事が掲載されているが、それによるとコロナ禍を経験した園児の内、3~5歳は平均4.39ヶ月の発達の遅れが見られたのに対し、1歳~3歳の子には明確な発達の遅れがなく、運動や手指の操作、抽象的な概念の理解、対子ども社会性、対成人社会性などはむしろ発達が進んでいるとのこと。この結果から、教授はコロナ禍で保護者との関わりが増えたことが要因ではないかと推測している。この記事の内容は、わたしの三歳児神話仮説(上記の記事)を補強してくれたのではないかと感じる。確証バイアス万歳!

 

いずれにせよ、若者が生き辛い世の中であるのは確証バイアス抜きで現実であると思う。また、日本の保育は結局女性を国の労働力として働かせるためのものでしかなく、保育そのものはぶっちゃけそれほど重視されていないと感じた。女性を働かせたいなら保育園を児童福祉施設から就労支援施設に変えて保護者の負担と業務の無駄を徹底的に減らした方が良いと思う。その方が保育士も定着するだろう。行事は各家庭に任せた方が子どもの混乱も減るのではないだろうか? サンタさんが来ない家庭にサンタさんの存在を教える方が気の毒だとわたしは思ってしまうのだが。