長いものに巻かれる | デブリマンXの行方

デブリマンXの行方

いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

日本はなぜIT後進国になったのかを考えてみた。

考えたきっかけは、「日本はテレビゲームで世界レベルだったのに、ITに弱いということはあり得るのか?」ということ。

結論から言うと「日本はヲタクという多様性を受け入れられなかった」のがわたしの仮説である。

 

ヲタクという単語に見覚えが無い人がいるかもしれないが、昔は「オタク」よりもこちらの「ヲタク」という表現が一般(?)的だったと感じている。両者の違いとしては、オタクというのはアニメや漫画やゲームを楽しむ人々を指すのに対し、ヲタクは電子機器やミリタリー、その他文化に一般人からすると気持ち悪いくらいに精通していることが挙げられる。ヲタクにとって、アニメや漫画やゲームは趣味の1ジャンルに過ぎないが、今はそれほど深く考えられていないと感じる。

 

さて、「日本はヲタクという多様性を受け入れられなかった」についてであるが、簡単に言うと、ヲタクは一般人からすると気持ち悪いのである。この表現はヲタクに対するヘイトスピーチではなく、一般人(特に昭和生まれ)からのストレートな評価と言って差し支えない。なぜ気持ち悪く感じるかと言えば、一般人が直感的に理解できないものに対して情熱を持っているから。例えるのは少し難しい気がするが、異性のトイレを盗撮する趣味があったら普通は気持ち悪いと思うだろう。同性なら尚更お気持ち悪い。気持ち悪いということは異性からモテないということで、恋愛結婚が主流の時代では未婚で終わりやすく、世間体が悪くなりやすい。お見合い結婚で補われた時代もあったろうが、基本的に村社会の農耕民族としては致命的な弱点になることは変わりない。

 

テレビゲームというのはプログラムで出来ている。世界で評価される程のゲームを作っていたのだから、プログラミングの技術も高いというのは不自然ではないように感じる。じゃあ、なぜその技術力がゲーム以外で目立たなかったのかを考えると、「ゲームは面白いけど作ってる人は興味ない(見たくない)」といった具合では無いだろうか。そのプログラミング能力を見込んで公的な機関に登用などすれば、成果を上げられた人もいたような気がしてならない。任天堂の元社長である岩田聡さんなんか現代社会の成功者の王道のような気がするが、インターネット以外では名前を見聞きすることがない。それ自体はたまたまなのかもしれないが、そのプログラミング能力のすごさが伝わりにくいことも一因ではないだろうか。もちろん、プログラミング能力抜きでも優れた実績のある方だが。

 

わたしが中学生だった平成半ばの時代は、アニメ・漫画・ゲームが好きならオタク扱いされた。それが美少女ものなら石を投げられてもおかしくない空気すらあった。一時期「ハヤテのごとく!」という漫画にハマっていたことがあるが、学校ではそれ言うことはできなかったことを覚えている。

それが今はどうだろう。若者は女の子でさえアニメイトに行くし、美少女キャラを使って町興しをしている地域すらある。美少女キャラの発展は、ヲタク文化の中にあったものだと記憶しているが今は一般に受け入れられているのである。

 

要するに、当時気持ち悪かったものであっても、社会に受け入れられたものについては認められるのである。これについては(自分にとって悪いと感じる)変化を受け入れられない国民性に通じる。1つ疑問なのは、ITアレルギーの人が多いと感じる中で、スマホの普及は尋常ではなく早かったことだ。スマホはあくまで携帯電話の延長線上で、パソコンやプログラミングとは別のものと捉えているのかもしれない。パンは嫌いだけどケーキは大好きといった具合だろうか?