病院への取材は終わっていない。48年前の事実が残っているとは到底思えないけど、それでも、自分の出生の瞬間のことが分かれば。ただそれだけだ。

 おばも、妻も、いつか本当のことが分かるならば、自分で探してみるのもいいだろう、と言ってくれている。それでも、僕にとって本当の父と母は、手製の仏壇に飾った写真の、父と母しかいないのだが。


 こんな身の上って、小説の中だけかと、ずっと思っていた。まさか自分の身の上がそうだったとは、誰も思わないだろう。漫画でも、陳腐すぎる。

 実の親の遺伝子のせいか、どうかはわからない。その後の僕は「お金」と「女」で破滅を呼んでくる。友人もなくし、お金もなくし、波乱を得に書いたような人生になっている。

 でも、それもこれも、僕の「生きてきた時間」は、僕に責任がある。

 

 どんな事情で、どのようにこうなったのか。僕は知りたい。知って、だからどう、ということもないけど、知ったうえで、この先を生きていく力が得られるならば、それは僕の希望だ。

 理由は考えてもしょうがない。

 昭和37年7月。

 僕が生まれた年月だが、日にちは定かではない。病院の出生記録も、改ざんされたから、残るのは記憶だけしかない。

 そして、僕が生まれた日にちは、叔母が産んだ女児に合わせ、「15日」に決まった。決めたのは、母となることをあきらめた人と、父となると決めた人と、その人を認めた病院と、その人を父親に相応しいと信じた保育園の園長だった。

 そして、この「改ざん」は「事実」として残され、すぐに関係した人たちの間で「生涯の秘密」となって、記録と記憶から消されることとなった。役場の記録にも、僕は「父親になる」と決めた男の長男として、記録されることとなった。

 でも、僕は恨んでも、40年を経た今、後悔の念も何もない。むしろ、生かされた、育てることに深い愛を持った本当の「両親」を得た幸せを、その両親をなくしている今、涙しながら報いきれていない自分を情けない、と思うに過ぎない。


 僕が生まれたこの年のこの月には、こんなことがあった。

7月1日 - 第6回参議院議員通常選挙投票日。
7月1日 - ルワンダ、ブルンジがそれぞれ独立。
7月3日 - プラハで開催されていた第15回世界体操競技選手権で日本の男子団体が初優勝を飾る。
7月5日 - フランスからアルジェリアが独立。
7月10日 - 当時世界最大のタンカー「日章丸」が佐世保重工業佐世保造船所で進水。
7月11日 - アメリカとイギリス・フランス間で初の大陸間衛星中継が成功する。
7月11日 - 戦後初の国産旅客機YS-11が完成。
7月11日 - 創価学会を母体とした参議院の院内交渉団体公明会(公明党の前身)が結成される。
7月18日 - 堀江謙一小型ヨットで太平洋単独横断、サンフランシスコに到着。
7月25日 - プエルトリコ、アメリカ合衆国領となる。
 

 僕を生んだ本当の母親は、群馬県か茨城県のとても貧乏な女性だったという。父親は長野県かの、とても裕福な男であったと。何かがあり、女性はその男の子を身ごもった。身分や家柄の違いから、女性は子供を地元で産むことができず、遠く離れた東京の、板橋区にあるA病院で、僕を産んだ。まるで小説のような話だが、事実であり、その僕がいる。


 僕は15日に生まれたことになっている。しかし、事実は、その1週間か前にこの世に僕は生をなした。

 その当時、父となるリョウゾウとフミコには、結婚して5年を経ても子供に恵まれず、夫婦で悩んでいた。この頃、今のように不妊治療など積極的には行われていなかった。(不妊治療が世界で始めて行われたのは、昭和48年(1978年)、イギリスのエドワーズ博士とステプトー博士が初)。

 だからこそ、リョウゾウもフミコも、心から「わが子」が欲しかった。しかし、5年間、一度も妊娠の兆候がなかったという。

 そして、叔母のサチコからの話から、僕という「わが子」を得るきっかけにめぐり合えたという。

 

 僕は、一人の親の人生から抜け出て、本当の親の人生に交わることとなった。

 目を閉じて、思い出したのは、僕はまだ清水町の家にいた。

 起きると、12月24日だった、そう、クリスマスイブだ。でも、まだこのときの僕は8歳の僕だった。

 僕らの寝ている部屋は、起きると居間にもなる、8畳の畳敷きの部屋だった。隣の板張りの部屋との境に小さな庭に続く扉があった。前にも思い出して書いたが、この扉を開け、風呂があったのだ。

 この日は、ひどく寒い朝だったのを覚えている。


  「おお、起きたか」

 リョウゾウが新聞を広げながら、やけにニコニコしながら、起き抜けを僕を見て言った。

 「おはようございます・・・」

 少し寝ぼけ眼で僕がそういうと、

 「おお、なんか庭にあるみたいだぞ」

 と、出し抜けに僕にそういった。

 「?」

 フミコを見てみるが、何かほくそ笑んでいるだけで、台所に立って炊事をしていた。

 「?」

 僕は、リョウゾウに言われるまま、扉を引いてみた。

 一面、真っ白だった。

 「お、お父さん、雪だよ!」

 そう、この昭和45年の12月の24日は、雪だったのだ。

 「ん? 雪?」

 どうもリョウゾウは雪が降っていたのを知らなかったらしいが、

 「何もないのか、庭には」

 「?」

 まだわからない。雪のほうが面白かったのが、ふっと視線を下にそらすと、

 「何か置いてあるよ」

 「なんだ、何があった?」

 僕はタタキにおいてあった、少し大きめの箱を持ち上げて、

 「こんなのがおいてあった!」

 と、リョウゾウに見せた。

 「なんだ、そりゃあ?」

 「あけてみたら?」

 フミコが朝食の支度をしながら、僕にそう言った。

 僕はリボンもかかっていない、おもちゃ屋の紙で包まれた箱の、セロテープを慎重に開けて見た。

 現れたのは、

 「サ、サンダーバードだああ」

 そうだ、僕が大好きだったサンダーバードのプラモデルだった。 

 「お父さん、見てみて! サンダーバードだよ! んんと、4号だ!」

 「そうか、サンダー何とかか。よかったなあ」

 どうにも、リョウゾウはプレゼントの中味すら理解していなかったらしい。

 「嬉しいか」

 リョウゾウにそう言われ、

 「う、ううん。嬉しいけど、ぼく、サンダーバード2号が好きだよ、お父さん」

 「・・・2号?」

 「うん、でもね、4号も格好いいよね」

 「・・・そうか」

 大工であるリョウゾウの精一杯のプレゼントを、僕は一蹴するほどの返事を、無邪気に返したのだった。