昭和37年7月。

 僕が生まれた年月だが、日にちは定かではない。病院の出生記録も、改ざんされたから、残るのは記憶だけしかない。

 そして、僕が生まれた日にちは、叔母が産んだ女児に合わせ、「15日」に決まった。決めたのは、母となることをあきらめた人と、父となると決めた人と、その人を認めた病院と、その人を父親に相応しいと信じた保育園の園長だった。

 そして、この「改ざん」は「事実」として残され、すぐに関係した人たちの間で「生涯の秘密」となって、記録と記憶から消されることとなった。役場の記録にも、僕は「父親になる」と決めた男の長男として、記録されることとなった。

 でも、僕は恨んでも、40年を経た今、後悔の念も何もない。むしろ、生かされた、育てることに深い愛を持った本当の「両親」を得た幸せを、その両親をなくしている今、涙しながら報いきれていない自分を情けない、と思うに過ぎない。


 僕が生まれたこの年のこの月には、こんなことがあった。

7月1日 - 第6回参議院議員通常選挙投票日。
7月1日 - ルワンダ、ブルンジがそれぞれ独立。
7月3日 - プラハで開催されていた第15回世界体操競技選手権で日本の男子団体が初優勝を飾る。
7月5日 - フランスからアルジェリアが独立。
7月10日 - 当時世界最大のタンカー「日章丸」が佐世保重工業佐世保造船所で進水。
7月11日 - アメリカとイギリス・フランス間で初の大陸間衛星中継が成功する。
7月11日 - 戦後初の国産旅客機YS-11が完成。
7月11日 - 創価学会を母体とした参議院の院内交渉団体公明会(公明党の前身)が結成される。
7月18日 - 堀江謙一小型ヨットで太平洋単独横断、サンフランシスコに到着。
7月25日 - プエルトリコ、アメリカ合衆国領となる。
 

 僕を生んだ本当の母親は、群馬県か茨城県のとても貧乏な女性だったという。父親は長野県かの、とても裕福な男であったと。何かがあり、女性はその男の子を身ごもった。身分や家柄の違いから、女性は子供を地元で産むことができず、遠く離れた東京の、板橋区にあるA病院で、僕を産んだ。まるで小説のような話だが、事実であり、その僕がいる。


 僕は15日に生まれたことになっている。しかし、事実は、その1週間か前にこの世に僕は生をなした。

 その当時、父となるリョウゾウとフミコには、結婚して5年を経ても子供に恵まれず、夫婦で悩んでいた。この頃、今のように不妊治療など積極的には行われていなかった。(不妊治療が世界で始めて行われたのは、昭和48年(1978年)、イギリスのエドワーズ博士とステプトー博士が初)。

 だからこそ、リョウゾウもフミコも、心から「わが子」が欲しかった。しかし、5年間、一度も妊娠の兆候がなかったという。

 そして、叔母のサチコからの話から、僕という「わが子」を得るきっかけにめぐり合えたという。

 

 僕は、一人の親の人生から抜け出て、本当の親の人生に交わることとなった。