TSLについて③ ~ツアー、そして活動停止へ編~ | 新 K-ichiroのおんぼろレスポール記

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TSLについてシリーズ、最終章になります!

っと、その前に...。

 

5年振りとなるライブも近づいてきましたし、活動再開記念の一環としてですが、当時ライブ会場で配布していた4曲入りCDの音源をYouTubeに載せました。

今後CD化はありませんので、是非ともご覧下さい。

https://youtu.be/CkzXQyC2JZ8

 

 

 

終焉については、俺から切り出した話ではあるけれど、別に正確にメンバー全員に伝わった訳でもないし、それぞれ何となく程度の事でしか捉えていなかった気がするな、この時は。

 

それよりも、当時のTSLのコンディションがどうであれ、折角決まったツアーなんだし、楽しもうぜ!!的なモードではいたと思う。

 

全部のスケジュールが終わって、メンバー全員が集まった時にでも、落ち着いて改めて話そう。それまではライブに集中しよう!

 

と決めていた。

 

筈だったんだが...。

 

まず1本目の前橋。

ライブが始まる直前の、SEが流れながらの暗幕の向こう側ではとんでもないトラブルに見舞われていた俺。

軽いサウンドチェック中にギターアンプから音が出ず...。何をしても音が出ず...。結果、アンプのヒューズが急に飛んでしまったらしく、突如アンプを交換する羽目になった(笑)。

SEが流れだして10分近く経過してから本番が始まるという、ツアー1本目にしては過酷なスタートだった(本番前のその間、SEは繰返しを経て、ずっと流れ続けていたという笑)。

 

しかしこの前橋のライブもそうだけど、次の桐生でのライブも、細かい部分までは当然覚えていないけれど、感触は悪くないライブをこなした記憶がある。

 

そうそう、個人的にも群馬でのライブは初めてだし、なかなかの良い思い出になった(しかし細かい部分は覚えておらず)。ファミレスの「JOYFUL」を知ったのもこの時だ。

 

3本目の宇都宮。

リハーサル後に、餃子でも食そうかと!まぁ、ベタ過ぎる発想を胸に、メンバー全員で近くのアーケード街に行った記憶がある。結構、そのアーケード街が想像以上に賑わっていたのでビックリしたが、ライブ本番が終わって21時位か、同じアーケード街へ打ち上げ出来る飲み屋でも探しに行ったら、全然人がいないゴーストタウンに変化していたのは更にビックリした(笑)。

 

で、その打ち上げの席での事。

 

ツアーが終わってから活動を止めようと話そうと決めていた俺だったのだが、某メンバーが本当に何気なく発した一言に、俺は今まで貯めに貯めてきた鬱憤をついに抑える事が出来ず、場は一触即発の超険悪ムードに...。

 

他の席にいたお客さん達は、コレにはさぞかしビックリしたことでしょう(笑)。その節は申し訳ございませんでした。

 

しかも今となっては、ブチ切れてしまった原因となる、肝心なその一言が何だったのかも全く覚えていないという(笑)。

 

今考えてみると、ライブが終わって飲んでいて、たまたま気分良く出た一言だったってだけだったと思うんだ...。

 

でもきっと、当時の状況も踏まえた上で、その一言には俺が同意も共感も出来なかったってだけかな。

まぁ、でもその内容を覚えていないんじゃ、これ以上書き様が無い(笑)。

 

その後、徐々にその場は沈静化し、そこそこ丸く収まったのかな...。

 

 

その後、静岡。

何故かツアーバンドなのにトリにされるという異常事態の中、異常に盛り上がってしまい、ツアーバンドでは異例のアンコールに突入という(笑)。

 

でも何故かこの頃、TSLとしての活動を今後も継続しようという方針になっていたと思う。

 

それが宇都宮の打ち上げの時に決まったのか、静岡のライブの時だったのか、この辺りの事もよく覚えておらず(笑)。

 

その後、埼玉県内に戻って小さめの箱でライブ。

渋谷asiaみたいな大箱でもライブやったな~。

 

そんなこんなで、終わる筈だったのが何本かライブをこなし、2013年12月23日のBRATS STAR MUSIC主催「WEEKEND RUMBLE Vol.7」にトリで出演。

 

この頃は活動を停止するどころか、ユニットでの形態から4人編成のバンドにしようか、的な話までになっていた記憶があるんだけど、結果としてコレがラストライブに...。

 

終焉は、年が明けて数週間経ってからか、俺とKNZ氏による、数分程度の電話にて決まりました!

いやいや、出前じゃないんだから(笑)。

 

無期限の活動停止という選択をした理由は、非常に簡単に要約すると、今後の活動の見込みが立たなくなってしまったから。

バンドとかが終わるには、ごくごく普通の理由だと思います。

 

宇都宮での危機を見事に乗り越えた筈だったのだが、まぁ呆気ない終焉の形となった...。

 

 

こういう団体行動事をやってると、ひょんな事で火が点いて好転したりだとか、ひょんな事で壊れてしまうとか、あるんだよな~って改めて思った。

 

その後、当時のメンバー4人は完全に離れ離れになったって訳でもなく、その内の誰かと誰かが共演したりとか、まさかのプロデュースを担当したりされたりとか(笑)。何だかんだで全員が全員と繋がっていたという間柄。

 

そしてこの度、強い磁力に吸い寄せられるが如く(って訳でもないか)、若干メンツを変えた4人が、今度はバンドとしてのTSLの活動に向かう事になったという訳です。

 

因みにそこの経緯に関しては...、

 

ビックリするほど語るにも値しないというか、特にコレと言った美談も何も無いので、見事に割愛させていただきたく思います(笑)。