83年秋に、ニューヨークのエレクトロ/ヒップホップ専科〈Tommy Boy〉が、当時売り出し中のグローブ&ウィズ・キッズ「Play That Beat Mr,Dj」の楽曲を素材にしたマスターミックス・コンテストを企画した。
タイトルは「G.L.O.B.E.&WHIZ KID'S 'PLAY THAT BEAT MR.D.J.'DOWN BY LOW SWITCH THE LICK MASTERMIX CONTEST」
いわゆるプロモーションの一環として、当時流行していたDJによるマスターミックスを一般から公募しようというもの。優勝賞金は$100。優勝者の作品は、プロモーション用12インチ・シングルにしてラジオ局やクラブDJに配布されることになっていた。審査員は、アーサー・ベイカー、アフリカ・バムバーター、ジェリービーン、グローブ、シェップ・ペティボーン他。当時音楽界の最先端をいくそうそうたるメンバーが集結した。
最終選考に選ばれた10人の作品はおおよそ当時流行のダンス・ミュージック使ったDJミックスをベースとしたものだった。その中で、ひとつだけ明らかに他とは違うミックスがあった。
タイトルは「The Payoff Mix (Mastermix Of G.L.O.B.E. & Whiz kid's "Play That Beat, Mr. D.J."」(通称「Lesson 1」)
それは、ビーチ・ボーイズ、カルチャー・クラブ、ハービー・ハンコックなどのポップスから当時最先端だったラップはもちろん、古いソウルやファンクからロックンロールまで、より幅広いジャンルの楽曲を使っていただけでなく、NASAの音声など様々な素材が盛り込まれていた。審査会場でこのミックスがプレイし終わったとき、審査員達から大きな拍手が沸き起こった。もう優勝は決まったようなものだった。
優勝したのは、ダブル・ディー&スタインスキー。前者は、当時27歳でレコード会社のラジオ広告を制作するスタジオ勤務。後者は、32歳で広告代理店で働いていた。もともと音楽好きでジャンルを問わずレコードを収集していた。特にラップ〜ダンス・ミュージック好きで、ニューヨークの様々なクラブで遊んでいた。そこで見聞きしたラップ・ショーやDJプレイに着想を得てこのマスターミックスを制作したという(本人達は言及していないが、FMステーションのマスターミックス・ショーや街角で公然とリリースされていたブートレッグのメガミックス作品「Big Apple Production」や「Bits and Pieces」他にも間違いなく影響されているはず)。
優勝後、「The Payoff Mix」は約束通りラジオ局でオンエアされた。それから2週間後にスタインスキーはフィラデルフィアのレコード店で、ラジオからエア・チェックしたカセット・テープが$25で販売されているのを発見。本人はとても嬉しかったそうだ。
その後、彼らはすぐさま新しいミックスを制作した。それはジェームス・ブラウンの音源をエディット&ミックスしたもので、「Lesson Two〜James Brown Mix」と名付けられた。スタインスキーによれば、この作品はアフリカ・バムバーターらによるメガミックス・クラシック「Fusion Beats」へのオマージュだったそうだ(正確には〈Bozo Meko〉の「 Fusion Beats Vol.2」だろう)。
続く,,,
Double Dee & Steinski / Lesson 4 Now On Sale!!
Double Dee & Steinski / Lesson 1,2&3 Long T-Shirts Now On Sale!!