「ヒスパニック系はナイフの使い方がうまいからじゃないかな(笑)」
このコメントは、エディット本に収録されている雑誌「BIG DADDY MAGAZINE]
のインタビュー―エディターにはヒスパニック系の人達が多いですが?
との問いに対してアルバート・カブレラさんが答えてくれた台詞です。
実際、80年代に活躍したエディターのほとんどはラティーノ。
なぜか?
70年代にアルド・アマドがニューヨークのワシントンハイツではじめた
レコード・ショップ「Cutting Records」がすべてのきっかけのようですね。
ワシントンハイツと言えば、ハーレムの先、ニューヨークの北端に位置し、
すぐ南にはシュガーヒル地区、
全米最大のドミニカン居住区(ウェスト・ハーレム)で、
北側にはアフリカ系アメリカン居住区(セントラル・ハーレム)
北東部にはラティーノ居住区(スパニッシュ・ハーレム/エル・バリオ)。
ジョージ・ワシントン・ブリッジは、ハドソン川をはさんでニュージャージー
ハーレム、そして、ハーレム川をはさんでアフリカ系アメリカン居住区
ブロンクス地区を繋いでいる。(ウィキぺディアより)
ニューヨークに在住経験のある人にはどうでもいい情報ですが、
このハーレムはとても重要な場所なのであえて書きました。
そんなワシントンハイツでスタートしたレコード・ショップは、
兄アマドがレコード店を切り盛りし、弟のアルドは、10代の頃からDJをスタート
物心着く頃には、ニューヨークのFMステーション
「WKTU」の人気DJミックスショー「PACO'S SUPER MIX」に参加。
音楽プロデューサーとしても活躍しはじめていたようです。
マニュエル・パキート・ナヴァロ。通称=パコさんがホストを務めていた。
この番組は、平日の16:10からオンエアされ大人気だったらしい。
DJは、アルド・マリン、トミー・ムスト、ティ・ースコット、ホセ・ディアス、
そして、ラテン・ラスカルズ他。のちにハウスDJ&プロデューサーに
なる錚々たるメンバーです。やはりラティーノが多い。
(「PACO'S SUPER MIX」でググれば当時のミックスが山ほど出てきます。)
このアルドのコネクションで、このレコード・ショップには、地元のコミュニティーと
リンクしているクラブ業界人やDJらの溜まり場になっていたんじゃないかと思います。
つまり、ラテン・コミュニティーにおける音楽、クラブ業界人の社交場。
(↑この記述は推測です。今ほどネットが発達していない90年代の渋谷でさえ、ユニオンや
DMR、マンハッタンやシスコ・レコードは社交場のようになっていましたから、
80年代も同じだったんじゃないかと。)
このレコード・ショップが、そのコネクションを生かしてレーベルをスタートする。
1983年に、レーベル第一弾としてハシムのエレクトロ・クラシック
「Al-Naafiysh (The Soul)」が世に送り出されます。
ザ・エディットでラスカズ君が「全てのはじまりはこのレコード」と紹介した1枚です。
この曲は、ご存知の通り大ヒットし世界中にライセンス・リリースされます。
アフリカ系アメリカ人であるアフリカ・バムバーターが82年に世に放った、
エレクトロ・クラシック「プラネット・ロック」のほぼ1年後ですね。
レーベルは、その勢いにのりハシム=アルド・マリンのコンビの別名義で、
インペリアル・ブラザースやハイ・フィディリティー3などのエレクトロ・
ヒップホップを次々とリリースし大ヒットさせた。その後も、エレクトロから
ラテン・ヒップホップ~ラテンフリースタイル、ハウス・ミュージック
(マスターズ・アット・ワークもいくつか作品を残しています)を
続々と世に送り出し、ラティーノによるストリート・ダンス・ミュージック・
レーベルとしての確固たる地位を築いていきます。
レーベルのプロデューサーだったアルドさん本人は制作もエディットもこなす。
カブレラさんは、エディット本で影響を受けたアーティストとしてアルドさんの
名前を挙げているし、自分の結婚式に彼を呼んだと言っています。
アルドさんは、カブレラさんにとって業界の先輩であり友人関係であったことは
間違いありませんね。同じラティーノ同士ということもあり、
お互い公私に渡ってサポートしあってきたんじゃないかと思います。
それは、ラテン・ラスカルズも然り、チェップ・ニューネズ
も然り、オマー・サンタナも然りカリオス・バリオス然り。
つまり、ファミリーみたいなものだったんだと思います。
だから、エディターにはラティーノが多いという結論に辿りつくわけです。
その証拠に87年にリリースされたコンピレーション「Cutting Remixies」の
裏ジャケットには、名だたるエディターの集合写真が掲載されている。
この集合写真を見ていると、隣には、シュガーヒル・レコーズが、そのまた隣には
ヒップホップの聖地、ブロンクスが、、、、その狭間のワシントンハイツ(現在は
ミッドタウン)という場所で、自分たちのストリート・ミュージックを生み出し
盛り上げていこうという強い意志とクリエイティヴィティー、絆を感じずにいらません。
まさにニューヨリカン・ソウル。
92KTU
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