NUYORICAN SOUL | The Extended

The Extended

2013年にリリースされた80's 12インチ・シングル・ディスク・ガイド「The extended」。そのブログ版。以前は洋楽中心でしたが今回は邦楽を中心に、各アーティストの初12インチ・シングルを紹介していきます。何卒、よろしくお願い致します。


「ヒスパニック系はナイフの使い方がうまいからじゃないかな(笑)」



このコメントは、エディット本に収録されている雑誌「BIG DADDY MAGAZINE]

のインタビュー―エディターにはヒスパニック系の人達が多いですが?

との問いに対してアルバート・カブレラさんが答えてくれた台詞です。

実際、80年代に活躍したエディターのほとんどはラティーノ。


なぜか?


70年代にアルド・アマドがニューヨークのワシントンハイツではじめた

レコード・ショップ「Cutting Records」がすべてのきっかけのようですね。


ワシントンハイツと言えば、ハーレムの先、ニューヨークの北端に位置し、

すぐ南にはシュガーヒル地区、

全米最大のドミニカン居住区(ウェスト・ハーレム)で、

北側にはアフリカ系アメリカン居住区(セントラル・ハーレム)

北東部にはラティーノ居住区(スパニッシュ・ハーレム/エル・バリオ)。


ジョージ・ワシントン・ブリッジは、ハドソン川をはさんでニュージャージー

ハーレム、そして、ハーレム川をはさんでアフリカ系アメリカン居住区

ブロンクス地区を繋いでいる。(ウィキぺディアより)


ニューヨークに在住経験のある人にはどうでもいい情報ですが、

このハーレムはとても重要な場所なのであえて書きました。


そんなワシントンハイツでスタートしたレコード・ショップは、

兄アマドがレコード店を切り盛りし、弟のアルドは、10代の頃からDJをスタート

物心着く頃には、ニューヨークのFMステーション

「WKTU」の人気DJミックスショー「PACO'S SUPER MIX」に参加。

音楽プロデューサーとしても活躍しはじめていたようです。

マニュエル・パキート・ナヴァロ。通称=パコさんがホストを務めていた。

この番組は、平日の16:10からオンエアされ大人気だったらしい。

DJは、アルド・マリン、トミー・ムスト、ティ・ースコット、ホセ・ディアス、

そして、ラテン・ラスカルズ他。のちにハウスDJ&プロデューサーに

なる錚々たるメンバーです。やはりラティーノが多い。

「PACO'S SUPER MIX」でググれば当時のミックスが山ほど出てきます。)


このアルドのコネクションで、このレコード・ショップには、地元のコミュニティーと

リンクしているクラブ業界人やDJらの溜まり場になっていたんじゃないかと思います。

つまり、ラテン・コミュニティーにおける音楽、クラブ業界人の社交場

(↑この記述は推測です。今ほどネットが発達していない90年代の渋谷でさえ、ユニオンや

DMR、マンハッタンやシスコ・レコードは社交場のようになっていましたから、

80年代も同じだったんじゃないかと。)


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このレコード・ショップが、そのコネクションを生かしてレーベルをスタートする。

1983年に、レーベル第一弾としてハシムのエレクトロ・クラシック

「Al-Naafiysh (The Soul)」が世に送り出されます。



ザ・エディットでラスカズ君が「全てのはじまりはこのレコード」と紹介した1枚です。


この曲は、ご存知の通り大ヒットし世界中にライセンス・リリースされます。

アフリカ系アメリカ人であるアフリカ・バムバーターが82年に世に放った、

エレクトロ・クラシック「プラネット・ロック」のほぼ1年後ですね。

レーベルは、その勢いにのりハシム=アルド・マリンのコンビの別名義で、

インペリアル・ブラザースハイ・フィディリティー3などのエレクトロ・

ヒップホップを次々とリリースし大ヒットさせた。その後も、エレクトロから

ラテン・ヒップホップ~ラテンフリースタイル、ハウス・ミュージック

マスターズ・アット・ワークもいくつか作品を残しています)を

続々と世に送り出し、ラティーノによるストリート・ダンス・ミュージック・

レーベルとしての確固たる地位を築いていきます。


レーベルのプロデューサーだったアルドさん本人は制作もエディットもこなす。

カブレラさんは、エディット本で影響を受けたアーティストとしてアルドさんの

名前を挙げているし、自分の結婚式に彼を呼んだと言っています。

アルドさんは、カブレラさんにとって業界の先輩であり友人関係であったことは

間違いありませんね。同じラティーノ同士ということもあり、

お互い公私に渡ってサポートしあってきたんじゃないかと思います。

それは、ラテン・ラスカルズも然り、チェップ・ニューネズ

も然り、オマー・サンタナも然りカリオス・バリオス然り。

つまり、ファミリーみたいなものだったんだと思います。


だから、エディターにはラティーノが多いという結論に辿りつくわけです。


その証拠に87年にリリースされたコンピレーション「Cutting Remixies」の

裏ジャケットには、名だたるエディターの集合写真が掲載されている。


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この集合写真を見ていると、隣には、シュガーヒル・レコーズが、そのまた隣には

ヒップホップの聖地、ブロンクスが、、、、その狭間のワシントンハイツ(現在は

ミッドタウン)という場所で、自分たちのストリート・ミュージックを生み出し

盛り上げていこうという強い意志とクリエイティヴィティー、絆を感じずにいらません。


まさにニューヨリカン・ソウル




92KTU

Cutting Records







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